26/11ムンバイー同時テロ事件からちょうど10年:名もなき英雄たちの無言の抵抗

 

Posted on 26 Nov 2018 21:00 in インドあれこれ by Yoko Deshmukh

写真は言わずと知れた、ムンバイーのタージマハル・パレス・ホテル旧館。あの日、燃え盛る炎がこの建物を飲み込む映像に言葉を失いました。



10年前の今日、2018年11月26日に、ムンバイー南部フォート地区を象徴する施設であるチャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅やタージマハル・パレス・ホテルなど、大勢の人々が集まる場所をテロリストらが集中して襲撃し、多数の犠牲者を出した同時多発テロ事件が発生した。

「情報・知識 imidas」2018年版より引用した事件の概要は、次の通り。

「(引用開始)2008年11月26日にインド最大の都市ムンバイで起きた同時テロ事件。外国人を含む172人の死者を出した。事件はパキスタンのパンジャブ州南部に根拠地をおく武装組織ラシュカレ・タイバ(「純粋者の軍隊」の意)の養成した10人の実行部隊による犯行であり、同組織は数年前からムンバイ市内の情報を収集するなど周到な準備をしていた。その狙いは、インドの経済中枢に打撃を与えるとともに、アフガニスタンにおけるタリバン、アルカイダ勢力の掃討作戦を妨害するために印パ関係の緊張を引き起こすことにあった。(引用終了)」

当時、友人Tちゃんの夫を含めてムンバイー南部を拠点とする職場に通勤していた人々にとっては、生きた心地がしなかったと言うことを度々聞いた。
テレビ中継では警察や軍隊による緊迫した攻防の模様と、炎を上げて燃え盛るタージマハル・パレス・ホテルが映し出されていて、我が目を疑い、恐ろしさに震えが止まらなかった。

あれから本日で早くも10年が経過した。
テロの標的になったが、それほど大々的に報じられることのなかった公立病院で、必死で患者たちの命を守った看護師さんたちの体験談を、「The Better India」が伝えた。

On 26/11, This Brave Nurse Saved 20 Pregnant Women from the Terrorists’ Bullets! - The Better India

2008年11月26日、ムンバイー南部の「カーマ・アンド・アルブレス産婦人科および小児科病院(Cama and Albless Hospital for Women and Children)」では、夜勤の看護師アンジャリ・クルテ(Anjali Kulthe)さんが、出産を控えた担当女性20名の様子を見るために巡回していた。

その時、病棟2階の窓から、銃を持った2名の若い男が守衛たちを次々に射殺し、病院内に侵入しようとする戦慄の現場を目撃した。

アンジャリさんは同じく夜勤中だった看護師たちと素早く機転を利かせ、妊婦たちと付き添いで入院していた家族たちを病棟の端にあった小さな食品庫に誘導した。
その間にもテロリストが無差別に放ち続けた銃弾の一部が窓を貫通し、病院スタッフ(Ayah)の女性の手に命中、多量の出血を伴う怪我をした。

しかし動揺する間もなく、アンジャリさんはお腹の中の子供を必死で守ろうとする女性たち全員の命を救うためには、自分が必ず生き残らなければならないという固い決意とともに、一瞬一瞬の行動を完璧に計算した。
その姿に他の看護師たちも勇気付けられ、冷静に行動できたという。

テロリストたちは1時間も銃撃を続け、警察の到着後は手榴弾を投下し始めた。
院内に取り残された患者や看護師、医師たちは固唾を飲んで身を隠すしか成すすべはなかった。
そうした緊迫した中にあって、アンジャリさんは流れ弾で負傷したスタッフを救急病棟に連れて行き手当てした。

一瞬、静けさが戻り、誰もがテロリストらが立ち去ったかと安堵しかけた時、妊婦の1人が産気づく。
処置の遅れは小さな命を含む2人分の命を危険に晒すことになる。
そこでアンジャリさんは、自分の命に代えて親子を守ることを決意する。

実際には2人のテロリストは、数名の医師を人質に取り、病院のテラスで引き続き無差別に発砲を続けていた。

テロリストたちが無慈悲に人命を奪う壮絶な現場の片隅で、アンジャリさんは妊婦をより安全な部屋へ誘導、居合わせた医師たちの処置と介助の甲斐あり、薄暗い蛍光灯の下で新しい生命が無事、誕生した。

その夜、病院で働くスタッフは全員、患者のために人間の盾になった。
当時の報道によると、照明を消し、病室のドアを閉め、患者たちを洗面所に匿い、完全な沈黙の中で妊婦たちを守った。
銃声は止まらず、むしろ聞こえてくる唯一の音だった。

テロリストらが病院施設を去り、ムンバイーが日常に戻った時、気丈なアンジャリさんの中で何かが崩れた。
「制服を着ている時は気をしっかり保てるのだが、普段着に戻ると、他の誰もがそうであったように、自分も殺されたかもしれないという強烈な恐怖感が蘇り、トラウマから精神が不安定になった」

それから1ヶ月ほどは、些細な音にさえ怯え、眠れない日々が続いた。
アンジャリさんと同じく、この日テロに遭遇した病院スタッフたちは、少なくとも2ヶ月間は夜勤に入ることができなかったという。

そんなアンジャリさんの傷口に塩を擦り込むような、新たな苦悩が襲うことになる。
テロからおよそ1カ月後、アーサー・ロード刑務所(Arthur Road Jail)に収監された、テロの実行犯として唯一の生き残りであり、あの日病院を襲ったアジマル・カサブ(Ajimal Kasab)の顔を確認するように、警察からの要請があったのだ。

アンジャリさんをさらなる恐怖に陥れたのは、カサブ容疑者の不気味な笑みと、まっすぐに目を見て「ご名答。私がカサブだ」と言い放った、罪悪感の片鱗も感じさせない態度だった。
「それ以降、カサブが脱獄し、家族や私に報復しに来るのではないかという恐怖心で、眠れない日々が続いた」

その後アンジャリさんは度々、裁判所で証言台に立つことになったが、自信と正気を保つために制服を着用した。

テロ事件以降10年が経過し、病院の周囲には高い塀が巡らされてCCTVカメラが各所に設置され、出入り口には警備員が配備されるようになった現在でも、あの日の恐怖の記憶が薄れることはない。
そしてさらに、「あの夜、自分の命を顧みることなく20人もの妊婦とそのお腹の中の子供たちを救った勇敢な看護師たちに、十分な敬意が払われていない」とアンジャリさんは訴えている。

ムンバイーの同時多発テロ事件のおよそ1年後にはプネーでも、外国人に人気のカフェを中心としたエリアで、インドを拠点とするイスラム過激派組織「インディアン・ムジャヒディン(Indian Mujahideen)」に加えて同じくラシュカレ・タイバの関係が疑われる無差別テロ事件が発生した。

インド・プネのカフェで爆発、9人死亡 2010年2月14日 - AFPBBニュース

ちょうどこのテロ事件が発生した日は、横浜への出張を終えてプネーに帰る前、福岡の自宅に立ち寄っていたので留守にしており、友人や知人、同僚の安否が気がかりだった。
振り返ると、あの頃のインドはいつ戦争状態に突入してもおかしくない状況にあったのかもしれない。

しかしそのような事態に陥らなかったのは、たくさんの人命を救ったムンバイーの看護師たちのような、テロに屈せず与えられた使命を全うした、無名の人々による無言の抵抗があったからなのだ。

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※「ボヘミアンラプソディー」の記事では、ツイッターで見つけた興味深い引用を地味に追加し続けています。

 





    



About the author

Yoko Deshmukh   (日本語 | English)         
インド・プネ在住歴10年以上の英日・日英フリーランス翻訳者、デシュムク陽子(Yoko Deshmukh)が運営しています。2003年9月30日からインドのプネに住んでいます。

ASKSiddhi is run by Yoko Deshmukh, a native Japanese freelance English - Japanese - English translator who lives in Pune since 30th September 2003.



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