わたしはけっこう最近まで、70年代から80年代にかけて一世を風靡した伝説のバンド、「クイーン(Queen)」についてよく知らなかった。
初めて「クイーン」にちゃんとした関心を持ったのは、東日本大震災後にプネーのCD店で購入したチャリティー・アルバム、「Songs For Japan」に「Teo Torriatte(Let Us Cling Together)」が入っていたことがきっかけだった。
このCDを当時使っていたiPod Touchにコピーして通勤途中に聴きながら、「Teo Torriatte」は独特のメロディーに乗った歌詞の一部に日本語が使われていたこともあり、「クイーン」というバンドに興味を抱き、以来いろいろな楽曲をダウンロードしてはずっと聴いていた時期があった。
だからフレディ・マーキュリー(Freddie Mercury)という人のこともバンドメンバーについてもよく知らないまま、「音楽の中毒性がすごい」という印象だけでここまで来たのだが、フレディさんがインド系イギリス人であることだけはずっと記憶にあって、誰か全然インドと関係ない人がクイーンを称えていたりすると、密かに自慢したいような気分に浸っていたものだ。
ただし「インド系」と言ってもイギリス人として生まれているフレディさんは、多くの二世、三世と同様、両親や祖父母の時代にイギリスなどに移住し、寄宿制学校に通うために渡印していた期間以外はインドとの関わりなんてほとんどなかったんだろうな、とぼんやり考えてはいた。
しかし昨日、その「クイーン」および「フレディ・マーキュリー」の誕生から、サイクロンのごとく激しく駆け抜けた半生を描いた映画、その名も「ボヘミアンラプソディー(Bohemian Rhapsody)」を鑑賞して、改めて決して薄くはなかったフレディさんとインドとの繋がりの一端を垣間見たようだった(だからこそ本人は殊更にルーツに言及されることを嫌がる素振りを見せる場面もあった)。
フレディ・マーキュリーさん公式(?)ウェブサイト
※本人の死後に公式もあるかとの疑問
ストーリーに関しては、バイオグラフィーという性質上ネタバレを恐れる要素はほとんどないので言及するが、冒頭からフレディ役の俳優さん、ラミ・マレック(Rami Malek)さんは、南アジア系をほんのり想起させる顔立ちをしている(が、ご本人はエジプト系アメリカ人とのこと)。
そしてバンド参加前に働いていたヒースロー空港の手荷物積み下ろし係の同僚に「パキ(Paki、南アジア系の人々に対する蔑称で、「パキスタン」に由来)」呼ばわりされ、「俺はパキスタン人じゃない」と返す場面がある。
なお、ラミさんと異なり当のフレディさんは、言われなければ南アジア系と判別できないエキゾチックな雰囲気なので、インド系であることを最近まで知らなかった人も多いだろう。
しかしそうした不思議な容姿も、パールスィー(ゾロアスター教徒)系の血統であることで説明がつくようだった(実はわたしは最近までグジャーラーティー系だと勘違いしていた)。
作中ではフレディさんの家族がたびたび登場するが、父、母、妹に至るまで一様にインド訛りの英語を話しているのも興味深い(フレディさん役のラミさんだけは完璧なクイーンズ・イングリッシュ)。
正確には「パールスィー訛り」と言うべきか。
わたしの友人のパールスィーたちや、9月にマレーシアのマラッカで出会ったポルトガル系マレーシア人のシェフもそうであるが、海を渡ってインドやアジアにやってきた、いわゆる外来民族の話し方は、移動から何世紀を経ても独特のアクセントを保っていて、それを劇中でも再現している点はさすがの演出だ。
一族のパールスィーに辿るルーツについては作中でも、フレディの父親がバンド仲間(後のクイーンのメンバーたち)を前にして「我々の祖先は1,000年以上も前にペルシアからインドへ渡ってきたのだ」と説明する場面があり関心を喚起する。
そして最終的に一番気になったのが、フレディさんの遺体は「ゾロアスター教の慣習により火葬された」と説明されていた点だ。
※「Bohemian Rhapsody」のスペルを間違えているのと、
とっさに「cremate」の単語が出てこなかったのが恥ずかしい。
ゾロアスター教は「拝火教」とも呼ばれ、火を神聖なものとし、これを汚してはならない。
このためパールスィーたちは死後、魂の抜けた遺体をハゲワシなどの鳥に供する「鳥葬」を行うことが最高の功徳とされていることは、40年近く前にインドを旅した妹尾河童さんも、その名作「河童が覗いたインド」にてムンバイーの「沈黙の塔(Tower of Silence)」の鳥瞰図とともに詳しく説明されている。
沈黙の塔 - Wikipedia
もちろん現代の特に外国では、環境面で鳥葬を実施することは非現実的であろうから、やむなく火葬としているのだろう。
だから、この箇所は正確には「ゾロアスター教の慣習に従った葬儀が執り行われた」ぐらいにしておけば、誤解を招くことはないのではなかろうか。
なお、気になるフレディさんの少年時代に通っていたインドの寄宿学校だが、前述の公式サイトによれば、なんとマハーラーシュトラ州はプネー近郊の高原地帯、パンチガニにある「St. Peter's Boys School」だった。
Wikipediaでさらに追ってみると、高校はムンバイーの「St. Mary's School」に進学、思春期の大部分を我らがマハーラーシュトラ州で過ごしていたとは感慨深い。
また、フレディさんが高校を卒業するぐらいまでブルサラ一家(Bulsara、フレディさんの誕生名はファローク・ブルサラ [Farrokh Bulsara])が住んでいた国ザンジバルが英領だったこと、また一家がイギリスへの移住を決めるきっかけになった出来事として、1963年の独立と、インド人住民を巻き込む多数の犠牲者を出し、同国がタンザニアに合流するきっかけとなった1964年の「ザンジバル革命」という動乱があったことも、初めて知ることになった。
ザンジバル革命(英語) - Wikipedia
以上のようにインドと関わりのある人にとっては、フレディ・マーキュリーさんの生い立ちやストーリーを独特の視点から楽しめるし、さらにクイーンの音楽のファンにとっては、映画館の抜群の音響で彼らの世界観に浸れる貴重な場でもあるし、ぜひ幅広く鑑賞をお勧めしたい。
※番外編 フレディさんのインド出自関連のツイート引用※
参考サイト:
'You Better Own This' - How Rami Malek Came To Embody Freddie Mercury - NPR
10 Things You Might Not Know About Freddie Mercury - Mental Floss
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