プネーの「とっつぁん」へ

 

Posted on 16 Dec 2024 21:00 in ASKSiddhiのひとりごと by Yoko Deshmukh

どこかで覚悟はしていたけれど、とっつぁんのいなくなった世界は、一層心細く思えます。



Mおとっつぁんの訃報を受けたのは先月末のことだった。

出会いは2006年ごろ、当時プネーに住んでいたとっつぁんは60代だったろうか。
そのころはSNSもそれほど普及しておらず、ゆえにASKSiddhiをきっかけに見つけてくださったと思う。
20代だったわたしが、日本に見切りを付けてインドに移住し、ロウワーミドルクラスど真ん中の生活に奮闘しつつ、ほぼ毎日ASKSiddhiを更新し続けていることを、大変おもしろがってくださった。

当時はご子息で、当時30代後半ぐらいだったTさんとアウンド(Aundh)地区のアパートに2年ほど在住されていた。
たびたびご自宅にお招きくださったり、レストランでお食事をご一緒したりしながら、公私ともにさまざまな交流をした。
わが家が初めてクルマ(TATA Indigo)を購入したときは、バージンドライブにも付き合ってくれた。
さらにTさんが立ち上げた「BeH Times」では、インドビジネス関連記事の翻訳作業を任せてくださった。
おふたりとも気さくで、相手をリラックスさせて話を引き出すのがお上手だった。
もちろん、ご自身もいろいろな引き出しをお持ちで、お話を聞くだけでワクワクして、未知なる世界への想像が膨らんだ。

しかし2008年に若くしてTさんが急逝する。
すでに父子は本帰国後の訃報だったが、わたしたちも大きなショックを受けて落ち込み、信じられない思いに遠く離れたプネーの空を仰ぎ、涙をこらえる日々が続いた。
とっつぁんはその後にも、インドと日本とをつなぐ活動を継続されていたが、プネーを訪れることはほとんどなくなった。
後に共通の友人Kさんから聞いた話では、プネーはTさんの思い出あふれる地であり、ここを訪れることは辛すぎてとても耐えられなくなったのだ。

豪快で太っ腹で、笑顔がチャーミングな、優しいとっつぁん。
インド以前にはイスラエルと20年以上にわたり関わられており、日本人以外の人間との付き合いには慣れていた。
だからこそ、われわれのような無礼な未熟者も、軽んじることなく真摯に向き合ってくれたんだろう。

インド人はもちろん、国籍を問わずたくさんの人々に愛されたとっつぁん。
それはとっつぁんが、相手の欠点や短所をも包摂する人間愛に満ちた方だったからに他ならない。

わたしのちっぽけな人生では、およそ想像もつかないような経験をされ、それゆえに築かれてきた無尽蔵な人脈を、惜しみなくつないでくださる方だった。
とっつぁんと過ごした時間は、すべてが大切な宝物だ。
とっつぁんがいたころのプネーは、わたしにとっては何でも相談できる実家があるみたいな安心感があった。

とっつぁん、ありがとうございます。
ずっと忘れません。
ゆっくりとお休みください。

本日最も読まれている記事
1. 日本人と顔立ちがよく似た「セブン・シスターズ」北東部の女性、人種差別に立ち上がる Posted on 18 Mar 2017
2. 購入後半年で故障したフォッシルのスマートウォッチを巡る、意外な顛末 Posted on 16 Sep 2019
3. インドで人気の日本アニメは、このタイトル Posted on 15 Jun 2023
4. インディラ・ガーンディー国際空港ターミナル3の様子、機内食、その他あれこれ:写真編 Posted on 13 Oct 2018

5. インド中華に迷いそうになったら、ハッカヌードル食べ比べはいかが Posted on 26 Oct 2017


本日の練習






About the author

Yoko Deshmukh   (日本語 | English)         
インド・プネ在住歴10年以上の英日・日英フリーランス翻訳者、デシュムク陽子(Yoko Deshmukh)が運営しています。2003年9月30日からインドのプネに住んでいます。

ASKSiddhi is run by Yoko Deshmukh, a native Japanese freelance English - Japanese - English translator who lives in Pune since 30th September 2003.



Share it with


User Comments