自らの美しさに気付き、目覚め始めたインドのモデルたちが世界で争奪戦に
Posted on 13 Jul 2019 21:00 in インドあれこれ by Yoko Deshmukh
肌の色についての根深い差別意識は依然として顕在していて、わたしも忘れられない発言をいろいろ聞かされてきました。写真は期待の若手モデル、ナオミ・ジャヌマラさんです。Photo from India Today
インド人モデルが世界でもてはやされる一方、自国ではほぼその価値を認められていないという衝撃の記事を、「India Today」が伝えていた。
Why Indian models are making it big abroad | India Today Insight
世界中で大人気のシンガーソングライターでモデルのリアーナ(Rihanna)が、自身の化粧品ブランド「フェンティー(Fenty)」のファッションラインの顔として、19歳のインド系女性モデル、ナオミ・ジャヌマラ(Naomi Janumala)を採用したことは、大いに話題を呼んだ。
インド人モデルをフェンディ(Fendi)やルイヴィトン(Louis Vuitton)などの全世界の大手デザインハウスに売り込むムンバイーのモデルエージェント、アニマ・クリエイティブ・マネジメント(Anima Creative Management)のグニタ・ストーブ(Gunita Stobe)に見い出された時、ジャヌマラは弱冠16歳だった
わずか2シーズン前までは、インド人モデルはまったく見向きもされていなかった。
しかし時を追うごとに、男女問わぬインド人モデルが、西側のファッションシーンの多様化をリードしつつある。
ランウェイや広告キャンペーンに白人モデルばかりを起用していると批判されてきた欧米のファッションハウスが、ありがちな白人女性を追及していた時代は終わった。
さらにオーストラリア出身のアンドレア・ペジック(Andreja Pejic)やアメリカ出身のハリ・ネフ(Hari Nef)などトランスジェンダーのモデルの活躍が追い風となり、美や身体に対する旧来の考え方に革命が起きている。
世界中のランウェイを歩くモデルたちの中には、ブーミカ・アローラ(Bhumika Arora)やプージャー・モル(Pooja Mor)などの著名インド人女性モデルもしばしば登場しているが、一方で男性モデルもファッション業界から熱い視線を集めており、「ビッグ4」と呼ばれるパリ、ミラノ、ロンドン、ニューヨークのランウェイを闊歩している。
例えばプラティーク・シェッティ(Pratik Shetty)は先月、パリ・コレクション2020年春夏シーズン(Paris Fashion Week Spring/Summer 20)のエムエスジーエム(MSGM)にデビューした。
高身長で浅黒い肌、無駄のない肉体を持つシェッティは、パリ・コレクション開催期間中15のショーに出演、ランバン(Lanvin)で締めくくった時には他のモデルを凌ぐトップ出演回数を叩き出した。
もう一人のインド人モデル、タヒール・ブラフマバーット(Tuhir Brahmbhatt)は、ルイヴィトン専属でデビューを飾り、昨シーズンはマルニ(Marni)でデビューしたチャクシュ・シャルマ(Chakshu Sharma)は、ロエベ(Loewe)のランウェイにも出演した。
Elite Modelling Agencyに所属するムスタファ・ダウッド(Mustafa Dawood)は、アントニオ・マラス(Antonio Marras)、バレンチノ(Valentino)、プラダ(Prada)、アレキサンダーマックイーン(Alexander McQueen)のショーに出演している。
こうした成功は、ファッション業界の世代交代によるものとされている。
つまりデザイナーが白人モデルばかりを起用するという批判が、態度を改めざるを得ない状況に追い込んでいる。
「世界中のファッション業界で、あらゆる民族背景のモデルを起用する傾向になる中、インド人男性モデルがグローバルなステージに立つことは時間の問題だった。言ってみれば、現在のようにシーズンごとにニューフェースが登場するのはトレンドの要素もなきにしもあらずだ。これをトレンドに終わらせず、今後のシーズンでも主流になっていけるようにしたい」ストーブ氏。
ストーブ氏によれば、インドは男性モデルの供給過多状態だ。
「フリーランスのモデルは露出の機会獲得や就職のため、ほとんど何でもしている状態だ。悲しいことだがそうした努力が、ほぼ何の価値もない、時には無償の仕事ばかりを呼び込んでしまい、デザイナーにお金を払ってまでショーに出してもらう事態を招くなど、キャリア面では裏目に出ている。もちろん例外もあるが、これがインド人男性モデルの現状と思ってもらってもいい」
インド人モデルが世界中で求められている一方で、明るい肌のモデルが選好されるインドでは締め出されているという逆説に陥っている。
ストーブ氏はまた、こうした現状を裏付ける話として、次のように語っている。
「パリ、ロンドン、ニューヨーク、ミラノで会議に出席すると、わが社に所属するモデルたちの名前と功績は既にみんなに知られている。ところがわが国の市場では、プージャー・モル(Pooja Mor)もディプティ・シャルマ(Dipti Sharma)も、その名前は業界のプロですら知らないことがほとんどだ。インドがその産業自体に基本的な包括性を持ち合わせていない現状では、包括性についての議論は二の次だ」
業界の専門家によれば、インドのファッション業界における多様性の欠如は、深刻な水準に陥っている。
色白であることを美の黄金基準とする考えにがんじがらめにされ、インドで開催されるファッションショーから電子商取引キャンペーンに至る、あらゆる場所で起用されるモデルのほとんどが、東欧やロシア、旧ソビエト諸国出身であるという笑えない事態になっているのだ。
この国では、肌の色が濃いモデルは貧乏くじを引かされる。
ムンバイー出身のシェッティさんは、たまたま目にしたElite Modelコンテストの広告を見て、応募してみることにした。
結果はインドのトップ8モデルに選ばれたものの、決勝までは至らなかった。
「そこで、小規模の撮影やショーに出演してフィードバックを受け続け、自分のもとに舞い込む仕事は何でもこなした。現在ようやく国際的な活動にまで漕ぎつけることができた大きな転機は、6月にアレキサンダーマックイーンの2020年春夏ルックブックの撮影の仕事が舞い込んだことだ。しかも伝説の写真家、イーサン・グリーン(Ethan Green)と、著名スタイリスト、アリスター・マッキー(Alister Mackie)と仕事できるなんて、夢のようだった」
ヨーロッパの一流モデルエージェント、IMGモデルに起用されるという、輝かしい第一歩を踏み出したシェッティさん。
「残念ながら、インドのクライアントに私の容姿は受けなかったようで、ほとんど仕事の機会がなかったのに、国際市場では休む間もないほど忙しい日々が続いている。毎日キャスティングやフィッティングに明け暮れている。」
熾烈な競争で知られる国際的なファッション業界だが、シェッティさんはその多様化に喜びを見い出している。
「今シーズンだけでも、ランウェイ出演者の少なくとも60%は、肌の色が濃いモデルだったと思う。」
ブラフマバーットさんもシェッティさんと同様の体験をした。
「まず、インドではモデル業は真剣にやる仕事だとみなされていない。その道のりは険しいもので、しかし徐々に風向きは変わりつつある。これに対し、ヨーロッパのファッションシーンはまったく別次元にある。私もインドよりもヨーロッパ市場で重用されている。(インドのファッション業界は)同じインド人を受け入れず、インド人モデルがインドを代表して成功していることを評価する声もない。自分の国にいても、モデル業界が多様性という面で持続可能な仕事をしようという態度が欠けていることを目にして、失望するだけだ。(インドでの)仕事は単調で、クライアントも同じモデルを何度も起用している状態だ」
ストーブ氏によれば、全世界からインドの若く魅了的なモデルを発掘しようという機運がますます高まっている。
「シーズンごとにパートナーエージェントから高い関心を集めており、当社モデルも海外で次々に新たな機会を獲得している。インド人モデルにとっては素晴らしい時代の到来だ。グローバルの舞台で受け入れられた彼らの時代が、ついにやってきたのだ。」
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Yoko Deshmukh
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インド・プネ在住歴10年以上の英日・日英フリーランス翻訳者、デシュムク陽子(Yoko Deshmukh)が運営しています。2003年9月30日からインドのプネに住んでいます。
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