近代インドの発展に尽くした偉人2人が出会った横浜バンクーバー航路

 

Posted on 27 May 2019 21:00 in インドあれこれ by Yoko Deshmukh

かつては横浜とムンバイーを結ぶ航路もありました。



社会活動家のスワミ・ヴィヴェーカーナンダ(Swami Vivekananda)と、伝説の実業家でありタタ創始者、ジャムシェドジー・タタ(Jamshetji Nusserwanji Tata)
ほぼ同時代を生きた、この近代インドの改革を語る上で避けては通れない2人が、共にアメリカを目的地として横浜からバンクーバーを結ぶ汽船に偶然、乗り合わせたことによる洋上での邂逅から、5月31日で126年となることを機に、「The Better India」で当時のことを記録する記事をアップしていた。

What Connects Vivekananda and Jamsetji Tata? A Sea Voyage That Changed India!

偉大な2人が横浜バンクーバー航路で奇跡的に出会っていたことについては、インドでもあまり知られていないようだ。

当時、ジャムシェドジーは既に企業家として活躍しており、シカゴで開催される見本市に向かう途上だった。
僧侶として理想のインド社会の実現を目指し、活動を続けていたヴィヴェーカーナンダとは、乗船前に定宿としていたホテルで既に出会い、会話を交わしていた。

2人は意気投合し、航海中は甲板などに出ては、それぞれの立場からインドの未来について、熱い議論を続けた。
ヴィヴェーカーナンダも、シカゴでその年の9月に開催され、5,000人以上の宗教家や歴史家を集めた万国宗教会議(World Parliament of Religions)に出席する予定だった。

ヴィヴェーカーナンダは、インドが真に希望ある国になるためには、大多数を占める普通の人々の繁栄と進歩が欠かせないとし、産業や技術を国内で発展させることこそが、農村部の貧困層の生計向上に繋がると説き、ジャムシェドジーはこれに感銘を受け、当時インドで設立を予定していた科学技術系の大学で教壇に立って欲しいと提案していた。

下船後それぞれの目的地に向かった2人は、その後、再び会うことはなかった。
しかしヴィヴェーカーナンダの鉄のように固い志はジャムシェドジーの心に残り続け、5年後に改めて、自らが理想とする大学を設立できた暁には、指導職に就任して欲しいと改めて乞う手紙を書き送っている。

ところが当時ヴィヴェーカーナンダはラーマクリシュナ・ミッションの設立に奔走しており、またジャムシェドジーの大学設立案は「国粋主義的である」として当時のインド総督(Lord Curzon)に許可されなかったため、実現しなかった。

結局2人の死後となる1909年に、ジャムシェドジーの遺志を継ぎタタ科学研究所(Tata Institute of Science)がマイソールに建設され、1911年に世界に誇る名門国立大学として現在に続く、インド科学技術大学(Indian Institute of Science:IISC)と改称された。

本日最も読まれている記事
ポルトガル鉄道のインターネット事前切符予約 26 Oct 2016
コーディネートに悩みながら新たに導き出したサリーおしゃれ新結論4つ #福岡サリーおしゃれ会 21 May 2019

最近発掘したサリー着こなし9選と、ブラウスになりそうなZARAのクロップドトップ9選 #福岡サリーおしゃれ会 24 May 2019
日本人と顔立ちがよく似た「セブン・シスターズ」北東部の女性、人種差別に立ち上がる 18 Mar 2017
第2回「#福岡サリーおしゃれ会」はあっという間に満席に☆サリー好きは永遠に募集中☆ 20 May 2019

 





          



About the author

Yoko Deshmukh   (日本語 | English)         
インド・プネ在住歴10年以上の英日・日英フリーランス翻訳者、デシュムク陽子(Yoko Deshmukh)が運営しています。2003年9月30日からインドのプネに住んでいます。

ASKSiddhi is run by Yoko Deshmukh, a native Japanese freelance English - Japanese - English translator who lives in Pune since 30th September 2003.



Share it with


User Comments