第二次世界大戦中に5,000人ものポーランド人難民たちをかくまったマハーラーシュトラ州の村

 

Posted on 19 Oct 2019 21:00 in インドあれこれ by Yoko Deshmukh

5,000人とは、ちょっとした自治体の規模ですね。インドについて知らないことがいっぱいです。



マハーラーシュトラ州南部沿岸地域寄りの都市で、独特の革サンダル生産や肉料理などで有名なコーラプール(Kolhapur)にほど近いワリワデ(Valivade)という町およびその周辺に、第二次世界大戦中、ナチスドイツの迫害から逃れてきたポルトガル人難民が5,000人もかくまわれていたことを、以下の「The Better India」記事で初めて知った。

This Maharashtra Village Gave a Safe Home to 5000 Polish Refugees During WW2!

きっかけは、当時の在ボンベイ・ポーランド総領事夫人で、赤十字の職員でもあったキラ・バナシンスカ(Kira Banasinska)氏が、当時のジャムナガル(Jamnagar)やコーラプールの藩王国からの支援を受けながら、旧ソビエト連邦のシベリア強制収容所からイランに逃れた自国難民たちに、食糧や生活物資を送り支援していた。

バナシンスカ氏の支援はそれだけにとどまらず、インド側の政府職員らと協力して補給用トラックを派遣し、イランから難民たちをグジャーラート州やマハーラーシュトラ州に建設したキャンプへ輸送した。

こうして1943年から1948年にかけて、5,000人近くのポーランド人亡命者たちがインドに逃れ、かくまわれた。

ある人の証言によると、亡命ポーランド政府が亡命者たちの生活費などを賄い、川沿いにキッチン、浴室、ベランダを備えた仮設住宅が立ち並び、ほどなくして学校や病院、郵便局、消防署、教会なども建設され、定価で商品を売る市も立った「ミニ・ポーランド」ができていき、まずまず快適に暮らしていた。

また地元住民との交流も盛んで、共にスポーツに興じたり、中にはインド人青年と出会い結婚して地元に残り、5人の子をもうけたりした女性もいた。

ワリワデなどの主な難民キャンプがあった場所には、現在も往時を懐かしみ訪れるポーランド人たちの姿があるという。

インドに逃れたポーランド人難民たちについての詳細な物語は、以下の書籍に綴られている。

The Second Homeland: Polish Refugees in India - Anuradha Bhattacharjee著

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About the author

Yoko Deshmukh   (日本語 | English)         
インド・プネ在住歴10年以上の英日・日英フリーランス翻訳者、デシュムク陽子(Yoko Deshmukh)が運営しています。2003年9月30日からインドのプネに住んでいます。

ASKSiddhi is run by Yoko Deshmukh, a native Japanese freelance English - Japanese - English translator who lives in Pune since 30th September 2003.



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