わたしとインド:インドこれまで、そしてインドこれから

 

Posted on 05 May 2018 21:00 in ASKSiddhiのひとりごと by Yoko Deshmukh

写真は4月18日、空港近くのダーラーヴィーにて。後方にスラム居住者たち向けに建てられた集合住宅が見える。違和感や戸惑いを抱えつつも、わたしに与えられたこの国にまた戻るのです。



プネーを4月18日に出発し、4月19日に福岡に降り立ってから、同21日、22日に開催された「ナマステ福岡」お手伝いに始まり、翌週の10年ぶりに会う韓国人親友の来訪、そして3日の「ラタフィア X ワナッカム」コラボレーションイベントまで、とびきり楽しくも駆け足で日々が過ぎ去った。

わたしにとってのインド生活は、移住当初から家族の距離が異様に近く、親戚や家族が無期限で自宅に滞在していく日々や、わけが分からないまま様々な行事や儀式に参加する日々を重ねることで、もともと持って生まれた性格上なじみにくさを感じ、自発的な興味関心をなかなか持てずにいた。

家族らや周囲との、相手側のありあまる愛情や親切心による濃密な人間関係と、一般の人々の予測困難かつ不可解に見える行動、そして移住当初は今ほどモノやコトが充実していなかったプネーでの暮らしにくさを、無意識に日本や他の先進国と比較してばかりだった。
「ASKSiddhi」更新はそんな時、自分とインドとの関係をいったん整理し、なるべく客観的にこの国を見つめるためにも、必要な作業であり続けた。

プネー現地のソフトウェア会社に就職してからは、日本の顧客とのコミュニケーション補助として間に入ることが多く、日本側を「上」、インド側を「下」として見るような態度が自然に身に付いてしまった。
わたしに向かって誰かがインドについて語る時は大抵、何らかの不満や改善すべき点を伝えるよう要求されているのであり、またそれを期待されていると身構えた。
また、こうした発言や態度をインド側にしっかり理解してもらうため、同じ職場に働く仲間を「顧客がこう言っているのだから」と否定することから入ることもしばしばだった。

インドに住んで暮らしにくさに悩み、仕事を通じて顧客からの否定的な意見をインド人に伝え、改善してもらわなければならない圧力が積み重なり、幼いころから人格に自信がなかったところに、インドと言う何もかもを飲み込む巨大な国がさながら「負荷」のようにのしかかり、気分的に二重苦を抱えているかのような人生だった。
「インド在住」を自嘲気味に話す癖が板についた。

一方、近年フリーランス翻訳者として独立してからは、仕事面ではインドは顧客リストの一部となり、家庭面では相変わらず愛情豊かな家族がわたしの性格をかなり理解してくれるようになり、生活面では日本へ定期的に長めの帰国をできるようになった。
すなわち在住者とはいえ、外国人であるのだからと割り切り、この国と適度な距離を取りつつ生活させてもらっている。

そうなって初めて、ようやくインドのことや、自分の住むマハーラーシュトラ州のことを心から学びたい、楽しみたいと思えるようになってきた。
インドで日々見かけたり、体験したりする様々な問題に対して、あたかも当事者として抱え込んでいた時と異なり、かえって第三者として自分を位置づけることで、できることが必ず何かあるはずだと自然に考えられるようになった。
実際、プネー在住の外国人たちの多くが、「よそ者」としての立場を最大限に生かした貢献をしている。

一時帰国中には、これまで無意識に避けていた日本のインド関係者となるべく交流するように心がけるようになった。
すると、わたしなどよりもずっとインド愛にあふれ、インドに関する知識も経験も豊富な日本人と交流する機会が激増した。
皮肉なことだが、わたしとは価値観が異なることが多いトラディショナルな地元の人々よりむしろ、こうした外の方々から、本当はとても鮮やかだったインドの魅力を改めて教えていただき、「発見」している日々だ。

正直に言うと現在でも、親戚や友人などが生まれ育った祖国インドに見切りをつけ、軽々とアメリカやイギリスなどの住みやすそうで華やかそうな国々に移住していき、渡航先で思い思いに暮らしているのが結構うらやましかったりする。
また、日本や海外に在住するインド人や、日本にいながらにしてインドな生活を採り入れている人たちのほうが、インドをどっぷり抱え込まざるを得ない自分などよりもよほど幸福そうに見えたりもするし、彼らの尺度や目線でインドを測り、自分なりの消化や理解の一助とすることも実は多い。

わたしにとってのプネー生活は、年々できることが増え、発展のスピードを肌で感じることができる、すばらしいものであると同時に、時には何もかも嫌になって逃げ出したくなるものでもある。
機会さえあれば物理的な距離を取れる日本でもない場所で、完全なストレンジャーとなってしばらく生活してみたい気持ちもある。

それでも、わたしにとっては生まれ育った日本がそうであるように、インドからも切り離せない人生を、今後も送ることになるだろう。

どういう形であれ、どんな人でも、そこで生きることを許し、飲み込む国もまたインドなのである。





    



About the author

Yoko Deshmukh   (日本語 | English)         
インド・プネ在住歴10年以上の英日・日英フリーランス翻訳者、デシュムク陽子(Yoko Deshmukh)が運営しています。2003年9月30日からインドのプネに住んでいます。

ASKSiddhi is run by Yoko Deshmukh, a native Japanese freelance English - Japanese - English translator who lives in Pune since 30th September 2003.



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