2001年11月8日、わたしは初めてインドはムンバイーのサハール空港(現チャットラパティ・シヴァージー国際空港)に降り立った時、そこからおよそ200キロのところにあるプネーまでの道はまだ現在のような整備されたエクスプレスハイウェイで2~3時間程度の簡単なものではなく、山道をくねくねと曲がって峠越えをしなければならず、ゆうに5~6時間はかかる行程だった。
しかし、その峠道すらなかった19世紀はじめごろ、プネーとムンバイーとの間には、まるで「陸の大海」とも呼べるような大小のガートが連なり、移動には実に3日間もかかっていたことを、以下の記事が教えてくれた。
Know Your City: Pune-Mumbai journey was an arduous three-day affair until Bhor Ghat was conquered
記事では当時のカルカッタ司教(Bishop of Culcutta)、レジナルド・ヒーバー(Reginald Heber)氏による、1825年6月27日付けの(ボンベイ、ムンバイーの旧称から)プーナ(Poona、プネーの別称)への旅を書いた手記「Narrative of a Journey through Upper Provinces of India(インド北部州を巡る旅の回想録)」を抜粋して紹介していた。
まずボンベイの滞在先からプネーに向かうには、小舟を借りて4時間かけて海路、パンウェル(Panvel)に向かう必要があった。
(もちろん現在はハイウェイが開通しており数十分の距離である)
そこからインド人の荷役(hammals)たちが担ぐ輿に乗り換え、コポリ(Khopoli)に向かったが、道中は食事と担ぎ手たちの休憩のために少なくとも2度は止まる必要があった。
しかも途中から大雨が降り、一行は輿を降りて全員で歩いた。
(現在は乗用車で1時間ほどの距離である)
カンダーラ(Khandala)に到着した一行は馬に乗り換え、カルラ(Karla)に向かったが、道中は暑さと寒さに交互に襲われる過酷なものだった。
(コポリからカンダーラ)
(カンダーラからカルラ)
カルラから夜通しの移動ののち、6月29日にプネーに到着した、と記している。
(カルラからプネー)
このような過酷な旅も、その数十年前と比較すると天地の差があると、ヒーバーは追記している。
1803年、当時の東インド会社は、第一次マラーター戦争(1775-1785)での2度にわたる屈辱的な大敗は、ボンベイとプーナの間に横たわる巨大な壁、ボール・ガート(Bhor Ghat)が、通信や輸送の障害になったためと分析した。
1932年に出版された「Military Engineer in India Vol II(インドの軍事工学第2巻)」によれば、大英帝国は第二次マラーター戦争の際、ボール・ガートを通る軍事道路を建設、これにより首尾よく兵站と補給路を整えたが、後にペシュワ(マラーターの王族)らにより破壊される。
その後、マウントステュアート・エルフィンストーン(Mountstuart Elphinstone)知事の時代、第三次マラーター戦争でついにボンベイとプナーが陥落したことから、1819年から8年の歳月をかけて、ボール・ガートに道路を建設、これをきっかけに、2つの都市の間を多くの人々が往来するようになった。
そうした旅人らは、前述のように道中でたびたび休憩を挟む必要があり、道沿いには懐に余裕のあるパールスィーたちやポルトガル人たちの出資により、飲食や宿泊、休憩場所となる旅籠や居酒屋が次々と開業した。
ヒーバーたちの旅からさらに約40年後の1863年、10年ほどの過酷な工事を経てついに大インド半島鉄道(Great Indian Peninsular Railway)がボンベイ・プーナ間に開通、2つの都市間の移動時間がわずか数時間にまで短縮した。
その詳細については、GW Macgeorge著、1894年出版の「Ways and Works in India」に詳述されているということだ。
1930年には、インド初の超高速鉄道として「デッカン・クイーン(Deccan Queen)」が運行を開始、現在まで走り続けており、今や2都市間の住民たちの通勤や通学の足となっている。
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なお、現状に何ら役立つ情報をご提供できていない「ASKSiddhi(アスクスィッディ)」なので、せめて「在ムンバイ日本国総領事館」より日々発信されている州内の状況や州政府による措置に関する最新情報を、今後はこちらにも転載させていただきたい。
=== 以下、同掲題メールの転載 ===
※11月5日付けのメール、件名「日本における水際対策措置(インドからの入国者に対する指定施設での待機措置解除)」
11月8日(月)午前0時以降にインドから日本に入国する全ての方は、検疫所が確保する宿泊施設での3日間の待機及び入国後3日目の検査は求められません。なお、入国後14日間の自宅等での待機については変更ありません。
1 11月5日、日本政府は、新たな水際対策措置として、11月8日(月)午前0時以降にインドから日本に到着し、入国時の検査で陰性と判定された全ての方については、検疫所長の指定する場所(検疫所が確保する宿泊施設に限る)での3日間の待機及び入国後3日目の検査を求めないことを発表しました。11月7日(日)にインドを出発し、8日(月)に日本に到着する場合は、本件措置の対象となります。なお、入国後14日間の自宅等での待機については変更ありません。
ご参考:全ての入国者に共通の措置(厚生労働省ホームページ:水際対策に係る新たな措置について)
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000121431_00209.html
2 今回の待機措置解除に伴い、空港からの移動手段、入国後の待機場所、空港での海外在留邦人向けワクチン接種の予約を変更する必要がある方は、御注意ください。
なお、海外在留邦人向けワクチン接種の予約をしている方で、予約を変更またはキャンセルされる方は、予約日の前日まで以下の特設予約サイト上で変更またはキャンセルすることができます。体調不良等で接種当日にキャンセルされる場合は、コールセンターへ御連絡ください。
【特設予約サイトURL】
https://mar.s-kantan.jp/mofa-v-u/
※予約の変更またはキャンセルの入力方法については、次のURLをご参照ください。
https://mar.s-kantan.jp/help/reserve-CVDGIM/faq-r.htm#A3_4
【海外在留邦人向けワクチン接種事業に関するお問い合わせ先(コールセンター)】
電話 ○日本国内からかける場合:03-6633-3237(有料)
○海外からかける場合:(+81)50-5806-2587(有料)
もしくはSkype上でmofa-vaccine-QA@asiahs.com(無料)
(日本語:月曜~日曜8時~20時(日本時間)、英語:月曜~金曜9時~18時(日本時間))
メールアドレス:mofa-vaccine-QA@asiahs.com
【問い合わせ先】
在ムンバイ日本国総領事館・領事班
電話(91-22)2351-7101
メール ryoji@by.mofa.go.jp
=== 転載終わり ==
本日の練習