あっという間のポルトガル滞在を終え、インドへ戻ろうとする今の雑感

 

Posted on 11 Nov 2016 23:30 in トラベルASKSiddhi by Yoko Deshmukh

帰国する先が日本だったら、「1週間ぶりにうどん食べたい」とかちょっとはウキウキした気持ちにもなりそうですが、帰る先はインド、もうひとつのエクストリームです。



※宿からも近かったコルメシオ広場
 

この記事は、ポルトガル時間11日午後11時、空港行きのタクシーを待つ間、宿の部屋で作成している。

今回のポルトガル旅行は、初めてのヨーロッパ、しかもユーラシア大陸の端っこを訪れ、何もかもが新鮮な発見と驚きに満ちた1週間だった。
完全にマイノリティとしてのアジア人、しかも片や南アジア系、方や東アジア系として、まったく街に溶け込めていないという、かつてない実感をしながらの日々だった。

「毎日が異邦人」であるインドで暮らしつつも、これまで訪れたことのある海外は韓国、シンガポール、タイなど、人生で一度もアジアを出たことがなかった自分には、さすがに異邦人レベルが段違いで、なかなかの緊張感だった。
店の人が自分を見て、顔色を変えているように思えることも。
明らかな異邦人の上に、言葉も通じない。
それでもほとんどの人は、広い包容力で助けてくださり、なんとか楽しく旅を終えた。

旅行記の細かな部分は、これから詳しく記事にしていきたいが、ポルトガルの地を去ろうという今、雑感を述べたい。

まずポルトガルに持って来た方がよかったな、と思ったものは、ジップロック5枚ほど。
これはチーズを露店で買ったりしたときに便利だ。
そしてスーパーのポリ袋。
商店などで物を買っても袋をくれないことが多いため、ゴミ袋用として2〜3枚あるとよい。
ちなみに、わたしたちは今回、サービス等の一切ない、レジデンシャルと呼ばれる簡素宿に泊まった。
不便もあるにはあったが、これはこれで楽しかったので、泊まった宿の具体的な情報は、プネに帰ってじっくりまとめたい。
 


シントラ近くの市場にて、絶品チーズを試食。
 

なお、ほぼ常夏のプネから来たわたしたちにとって、冬物の衣服の不足が不安要素だった。
しかし、プネに住むポルトガル人女性、エルガさんがアドバイスしてくれた通り、リスボンの「ザラ(ZARA)」は、日本よりもインドよりも割安で、レインコートにもなりそうでなかなか上等な、綿ポリエステル混の撥水素材のトレンチコートを49ユーロで購入できた。

コートを試着していた時、おそらく同じ「Web Summit」参加者とおぼしきインド人が、慌てて暖かい衣料を買いに入ったのだろう、店員さんに「安くなっている商品はありませんか」と聞いていた。
スマートにZARAの服を着こなしたイケメン男性店員さんは、決してバカにする風でもなく丁寧に応対していたのが印象的だった。

また、リスボンの人たちは歩きタバコが多いのと、ゴミのポイ捨て等も散見され、インド人ほどではないにしても、公共の場所をあまりきれいに使おうという意識はないかな、という印象がある。
しかし、子供や女性、お年寄りに対しては、不器用ながら、さりげない優しさが見える。

たとえば、「Web Summit」会場近くの、その名も「ヴァスコ・ダ・ガマ」ショッピングセンターのフードコートで仕事をしていたとき、目の前のスイングドアを、くわえタバコの若い男性が入って来た。
むっと煙たくなり顔を上げたところ、ちょうど出ようとするお年寄りのために、タバコを持っていない方の手で、ごく自然な動作でドアを押さえておいてあげており、「嫌な奴」だが見直した。
列車の中でも、男女ともに若い世代がお年寄りに当たり前に席を譲っていた。

あと、知らない人に対してはシャイだが、例えばよく朝食に行ったパステラリアの年配の給仕さんのように、少し顔見知りになると、笑顔で「ボン・ディーア」と挨拶してくれる人も多い。
また別のパステラリアで、「パオン・デ・ロー」というカステラの原型となったお菓子があるかを尋ねたら、「うちにはないけど、置いてある店がこの近くにあるわよ」と、忙しい中分かりやすく丁寧に道案内してくれた給仕さんもいた。
 


シントラへのWHTTツアーのときに、
熱々のショリソー(ソーセージ)入りサンドイッチを作ってくれたコックさん。
まったく形にもなっていないポルトガル語に耳を傾けてくれ、
正しい発音や壁のメニューの意味を教えてくれた。


ポルトガルの経済はずっと悪いままだけど、人々はあまりギスギスしていない。
滞在中、毎日のように利用していた、角の商店のバングラデシュ人男性によると、ポルトガルの平均給与は、非技能系の労働者だと500ユーロぐらいにしかならないらしく、これはドイツやイギリスなどの3分の一未満だそうだ。
それでも人々はなんだか楽しそうだし、女性は美しく、男性はハンサムな人たちばかりに見える。

ただし物乞いも多く、しかもほとんどの人がけっこう流暢な英語を話す。
「マクドナルドのハンバーガーを食べたいので5ユーロ恵んでくれませんか」とか、「先月からまったく収入がなく、ろくに食べていないんです」とか言われてお金をせびられる。
お店の中にまで入ってくる人もいるが、あまりしつこくなく、断ったらあっさり引き下がる。
路上に座り込んで、空き缶を片手に道ゆく人々に恵みを乞う老人の姿もある。
子供の物乞いはいないが、犬と一緒に路上で寝ていた、若いホームレスは目撃した。

インドのように路上の物売りもいる。
5日、ツアー待ち合わせ場所に行こうと宿を出ると、しとしと雨が降っており仕方なく濡れながら歩いていたら、移民風の服装をした、可愛らしい傘売りの女性がここぞと寄ってきた。
5ユーロということだから買ってもよかったんだけどね(というか言葉がよくわからず10ユーロと言っていると勘違いしていた。いらないというと4ユーロにまけると言ってきたが、けっきょく買わずに引き続き濡れて歩いた)。

石畳を車が疾走、ところどころ修復工事をしているっぽいがそれにしてもよく耐えている。
警察官がやたら多いのと、やたらかっこいい点は特筆したい(男女とも)。

レストランでも道でも、相手構わず当然のようにポルトガル語で話しかけられるところは、プネのローカルと似ている。
しかしこちらがポルトガル語を理解しないと分かった途端、流暢な英語に切り替わる人も割といる。

ポルトガル語は自分なりに、恥も外聞もなく現地の人に話しかけながら相手の発音を聞いて訓練し、また現地の人の温かさもあり、単語レベルでなんとか発音を聞き取ってもらえる確率が、ようやく上がってきたところだった。
どんな旅もそうだが、現地に慣れ始めるのに1週間ぐらいかかるので、そのタイミングでリスボンを離れることになるのが惜しい。
その分、また必ず来るような気がする、いや、きっと来よう。
(マラーティー語やヒンディ語を、同じ情熱で訓練できないのは、なぜだろう、、、もやもや)

リスボン空港への途上はリスボン名物の交通渋滞も体験できた。
 


先ほど乗ったタクシーから(今は空港へ移動してきた)。
宿から急坂をさらに上がったバイロアルト地区は、午後11時を回っても賑やかだ。


1週間強という短い期間だが、ポルトガルを駆け足で楽しんだ日々について、自分への記録と、どなたかが今後、ポルトガルを訪れるようになった場合に、少しでもお役に立てたらうれしいな、という思いを込めて、これから数日に分けて、具体的な旅行記をまとめたい。






About the author

Yoko Deshmukh   (日本語 | English)         
インド・プネ在住歴10年以上の英日・日英フリーランス翻訳者、デシュムク陽子(Yoko Deshmukh)が運営しています。2003年9月30日からインドのプネに住んでいます。

ASKSiddhi is run by Yoko Deshmukh, a native Japanese freelance English - Japanese - English translator who lives in Pune since 30th September 2003.



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