スパイスのMDH裏話:インド料理をおいしくしたのは難民だった!?
Posted on 20 Sep 2016 23:00 in インドビジネス by Yoko Deshmukh
「ASLI MASALE SACH SACH」でおなじみの、赤ターバンのおじいさんに、そんなストーリーがあったとは。
Image credits: Shutterstock
インド料理好きな方なら必ず一度は目にしたことがあるであろう、赤いターバンを巻いた老人のイラストが印象的なスパイス・メーカー「MDH(Mahashian Di Hatti:『見上げた男の店』という意味)」。
MDHを創業し、一代で財を成したのは、もともと無一文の難民出身の起業家だったことを、18日付の「Your Story」が紹介した。
A refugee who made the country’s meals tasty: the story behind MDH - Your Story
MDHのテレビCMにも出演する、同ブランドのシンボルでもある「赤いターバンの老人」こそが、ほかでもない創業者であるマハシェイ・ダーランパル・グラティ(Mahashay Dharampal Gulati)氏で、90歳を超えた現在も健在だ。
今や世界最大のインド事業のひとつに数えられるMDHブランドを率いる億万長者のグラティ氏は、もとは英領統治からの分離独立時にパキスタンから逃れてきた難民だった。
グラティ氏は現パキスタン領シアルコットで生まれた。
5年生だった1933年に学校を辞めた後は、仕事を転々とする父親を手伝う日々だった。
運命の1947年、アムリトサルの難民キャンプに逃れてきた一家は、極貧の中ようやくデリーに移動し、居を構えた。
その頃から父親がスパイスを挽いて販売する商売に従事するようになり、その品質の良さが定評となり独自のブランド「MDH」を確立するようになった。
1953年、チャンドニーチョウクで2号店を構えるころには一家の暮らしはすこぶる向上し、1959年にはキルティナガルに工場を持つまでになった。
難民出身であるグラディ一家は、闘争、貧困、悲惨といった辛酸を味わってきた人たちならではの、人一倍の忍耐力と誠実さ、謙虚さを備えていたからこそ、成功できたと言えるかもしれない。
そんなグラディ氏の座右の銘は、「あなたが持てる最善のものを世界に与えなさい。そうすれば何もしなくても、最善のものがあなたに戻ってくるだろう」。
その言葉通り、生活に困った人々のための公益信託や病院、また20校以上の学校を建設して社会に還元している。
「ASLI MASALE SACH SACH」が耳にこびりついて離れないMDHのCM
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Yoko Deshmukh
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インド・プネ在住歴10年以上の英日・日英フリーランス翻訳者、デシュムク陽子(Yoko Deshmukh)が運営しています。2003年9月30日からインドのプネに住んでいます。
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