インド独立70周年:勘違いして平和ボケしてる数億の頭空っぽな自称エリートたちへ
Posted on 16 Aug 2016 23:30 in インドあれこれ by Yoko Deshmukh
独立記念日には、映画「Gandhi」を毎年テレビで観ています。
※1982年「Gandhi」ポスターより
昨日、インドは70周年の独立記念日を迎えた。
1947年8月15日、インドは長く苦しい英領統治からの独立を勝ち取った。
毎年この日になると、「インド独立の父」として世界中に知らない人はいない、マハートマー・ガーンディー(Mahatma Gandhi、本名モーハンダース・カラムチャンド・ガーンディー )が生涯にわたり貫いた非暴力・不服従による大英帝国との闘いを描いた、1982年のイギリス映画、「Gandhi」がテレビの映画専門チャンネルで上映される。
この作品は何度見ても、心が揺さぶられる。
ところが同時に、独立記念日前後になると、SNSなどのソーシャルメディア上では「ガーンディの知られざる醜行」などを、どこからか拾ってきて面白おかしく共有する人がうようよ出てくる(ひとりでなく、何人もそういう人がいる)。
そういうのは元同僚であったりし、もう立派な中年世代であるはずの「高等教育を受けた」インド人たちである。
ガーンディも人間であり、映画には決して描かれないような、いろいろなエピソードがあっただろう。
そんなことは誰にだって理解できる、当たり前のことだ。
しかし、そうしたことをわざわざ掘り出して、ネタにするしか能がないような人間は、まさに「ネタ元」のその人こそが、あんたの白痴な発言をも自由として保障する、今のインドをもたらしてくれたということすら分かっていないバカだ。
彼らは自分の子供たち、そして将来は孫たちに対しても、こうしたSNS記事の内容にあるような、根も葉もないガーンディへの侮辱、ひいてはインド独立を貶めるような教育を恥ずかしげもなく引き継いでいくつもりなのだろうか。
世界中の人が、ガーンディの偉業から改めて価値を見出している一方でだ。
しかし彼らは、いわゆる「13億人のインドが抱える、億単位で浮遊する寄生虫同然のクズども」なのであり、わたしはなるべく触れたくない。
このような「平和ボケ」現象は、日本人だけでなく、まだ先進国とは決して言えない国であるはずのインドにも、自分たちだけはその他大勢とは違うと勘違いして、周囲がまったく見えなくなっている「自称中産階級」、「自称インテリ」に多く見られるのである。
現在のインドは、あのときのガーンディが理想として描いた国家からは、依然として程遠いと言わざるを得ないだろう。
さて、そういう脳みそ空っぽな人たちに必要以上のエネルギーを割きたくないので、気持ちを切り替えて思い起こせば、この映画を初めて観たのは、シッダールタさんと暮らし始めた相模大野時代、相模大野図書館から借りてきたビデオだった。
あの図書館には「Gandhi」のほか、1995年の名作「Bombay」、そしてタミル映画のスーパースター、ラジニカーントの(わたし的には)抱腹絶倒映画「Padayappa」など、インド作品がけっこう置いてあって、しょっちゅう物色しに行っていたものだ。
この「Gandhi」、主演のベン・キングスレー(Ben Kingsley、父がインド人のイギリス人)の凄みのある演技の脇を固める登場人物も名優ぞろいである。
そしてなんと、あのオーム・プリ(Om Puri)も、ほんのちょっとだが出演しており、短い時間ながら圧倒的な存在感を放っていた。
この続きは、明日の記事で書いてみようと思う。
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Yoko Deshmukh
(日本語 | English)
インド・プネ在住歴10年以上の英日・日英フリーランス翻訳者、デシュムク陽子(Yoko Deshmukh)が運営しています。2003年9月30日からインドのプネに住んでいます。
ASKSiddhi is run by Yoko Deshmukh, a native Japanese freelance English - Japanese - English translator who lives in Pune since 30th September 2003.
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