戦時中に多くの中国人を救ったインド人医師

 

Posted on 05 Jan 2016 20:35 in エンターテインメント by Yoko Deshmukh

「歴史とは、権力者が編み出すものである」というようなことは、よく言われます。



*Tumb of Dr. Kotnis in China, from a copyright-free space.

近年はお正月を、日本で迎えている。
新年は、大晦日から日付が変わるとすぐに、実家近所の宮地嶽神社に参拝する。
ずらり並ぶ出店の明かりがこうこうと照らす参道だが、寒い夜中にもかかわらず、年々多くの参拝客で賑わっているように思える。

ところで宮地嶽神社は商売の神様として有名なのだが、毎年お参りするようになった年と、フリーランスとして独立した年は、ほぼ同時期だった。
そしてこれまでのところ、安定した仕事と収入が得られているのは、他でもない、この神社の強力なご利益だと信じている。

お参りから帰宅したら、暖かい部屋でNHKをかけ、温かい飲み物をおともに、さだまさしさんの番組を聴きながら旧年に預かった業務に取り組み(フリーランス翻訳者も世間の年末年始休暇時期が繁忙期だ)、午前3時半になったらインドに新年の挨拶「नवीन वर्षाच्या शुभेच्छा(Navin Warsha-cha Subecha:マラティ語で「あけましておめでとうございます」)」を国際電話してから床に就く。
元日の朝は比較的ゆっくりと起床し、初日の出に間に合う年もあれば、間に合わない年もあるが、それでもいい。
そして、母が心を込めて作ってくれたおせち料理をいただく。

そして元日と言えば、ここ毎年、鑑賞料金の「ファーストデー」割引を狙って映画館に出かけるのが恒例のイベントとなっている。
今年はシッダールタさんも日本でお正月を迎えることができたので、12月はじめに観ていた「杉原千畝」(公式映画サイト)を、もう一度、一緒に観ることにした。
この映画は、英語での会話シーンがかなり多いため、日本語がよく分からない人でも英語が分かれば楽しめると思う。
わたしは事前に杉原千畝さんの本を2冊ほど読んでいたが、最初の妻イリーナさんと杉原千畝さんとの会話が、ロシア語ではなく英語である点に違和感を感じた以外、おおむね書籍の流れの通りで満足できた。

杉原千畝さんはイスラエルで「諸国民の中の正義の人」を日本人として初めて受賞するなど、特に世界中のユダヤ人社会では尊敬され、語り継がれる偉大な人なのに、日本の歴史からは最近まで、事実上抹消されていた。
その功績を日本の外務省が認めたのは、彼が亡くなってかなり後の2000年になってからだ。
詳細な経緯は、映画や書籍にゆずるが、戦後70周年を機に映画化された今回の作品では、唐沢寿明さんの演じる杉原千畝さんが素晴らしく、2度観てなお、また観たいと思う。
空爆が始まったドイツで、当時の大日本帝国在ドイツ大使に最後の忠告と「予測」をするシーンが特に真にこもって好きだ。

さて、この映画の鑑賞を終えて、シッダールタさんが真っ先に連想した人が、ドワルカナート・シャンタラム・コトニス(Dwarkanath Shantaram Kotnis:1910〜1942)さんだという。
シッダールタさんがFacebookに記していた感想を要約すると、杉原千畝さんが外交官(厳密には諜報官で、外交官は便宜上の肩書きに過ぎなかったとされている)としての任務の本質を、自分なりの良心と解釈で全うしようとした姿は、コトニス医師が異国の戦場に派遣され、多くの中国人兵士の命を救った行動と、根底で通じるものがある。

Wikipediaで調べてみると、コトニス医師はマハーラシュトラ州ショラプール(Solapur)近郊出身の医師で、1938年の日中戦争時、中国共産党からの要請でインド政府により派遣された医療団のひとりとして、中国に渡った人のようだ。
1939年に毛沢東率いる八路軍の従軍医師として前線に参加すると、医薬品や設備が決定的に欠乏する中、三日三晩寝ずの手当てで800名以上の兵士の命を救った。
その行動が、国籍や人種を超越し、我が身を投げ打って中国人に奉仕したとして、現在まで記憶される所以となった。
ちなみにコトニス医師はその後1940年に中国人看護師と結婚、長男に恵まれたが、直後の1942年に、持病のてんかん発作で若くして亡くなった。

コトニス医師の死には、あの毛沢東も深く悲しみ、喪に服したというが、亡くなる直前にコトニス医師は中国共産党に入党していたともされている。
中国河北省石家荘市には、現在もコトニス医師の記憶を刻む遺品が残されている。






About the author

Yoko Deshmukh   (日本語 | English)         
インド・プネ在住歴10年以上の英日・日英フリーランス翻訳者、デシュムク陽子(Yoko Deshmukh)が運営しています。2003年9月30日からインドのプネに住んでいます。

ASKSiddhi is run by Yoko Deshmukh, a native Japanese freelance English - Japanese - English translator who lives in Pune since 30th September 2003.



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