あの日からもう3年:インド人ご家族も搭乗していたあの航空機は、一体どこへ行ったのか
Posted on 08 Mar 2017 23:00 in ASKSiddhiのひとりごと by Yoko Deshmukh
あんなに世界中を騒がせていたのに、もうほとんど誰もが話題にもしなくなっている。時間の流れの残酷さを感じる時です。
※2012年末ソウル旅の際のDMZツアーで訪れた「自由の橋」
昨日、デリーに朝鮮民主主義人民共和国大使館があり、インドと北朝鮮には国交があることを改めて確認したところだが、興味本位にフライトを調べたら、直行便ではないものの、結構ルートがあることが分かった。
New Delhi to Pyongyang Cheap Flights Fare Calendar(goiboibo)
ただし航空券の価格がけっこう高くて、片道少なくとも4万ルピーはかかるようだ。
しかも経由便しかないので、少なくとも20時間、平均30~40時間くらいかかる。
それなら、日本から北京経由で訪問するほうがずっと簡単そう。
この白い橋の写真を眺めていると、北朝鮮の「プロパガンダ村」を望める「統一展望台」で、渡り鳥たちが悠々と北方へ飛んでいくのを見て、「人間とはなんと不自由な生き物なのか」という想いにふけったことを思い出した。
さて、今日はどんな話題があるか、「The Hindu」を何気なく眺めていたら、こんな話題が目に飛び込んできて、あれからもう3年も経ったのだということに気づかされた。
Australian service marks third anniversary of MH370 tragedy(The Hindu)
2014年3月8日、マレーシア航空MH 370便、ボーイング777型機が突然、消息を絶ち、完全にその姿をくらましてから、今日で3年になる。
あの日、あのフライトに搭乗した239人の乗客と乗組員は、いったいどこに行ってしまったのか。
中にはインド人の家族連れもいた。
自宅のあるムンバイを出発してから、クアラルンプールで乗り継ぎ、北京に住んでいた長男をみんなで訪問するところだった。
Tributes to the Indian Family Aboard MH370(Wall Street Journal)
記事は航空機が消息を絶ってまもないころに発表されているものであり、ご家族と親しくしていた近所の人たちや親族の動揺にあふれた声を拾っている。
飛行機に搭乗した次男は、インド、もとい世界最難関の工業大学、インド工科大学(IIT)に進学する準備を進めていたところで、つつましくも勤勉な家族として知られていたようだ。
捜索領域が広大な南西インド洋全域に拡大された際に、拠点となったオーストラリアのパースに、いまだ多くの謎に包まれている墜落事故の「犠牲者」を慰めるための記念碑が建てられる予定があるという。
カニャークマリ沖に広がるインド洋、残念ながらわたしは、2004年のインド洋大津波と、このマレーシア航空機消息不明事故という、悲しいできごとばかりを連想するようになってしまった。
まったくの偶然だとは思うが、北朝鮮とマレーシアとの間で緊張感が急速に高まったタイミングで、マレーシアの公安の能力を疑問視し、また一部の国内企業が北朝鮮との間で軍需品の取引をしている実態を指摘する記事を見かけた。
金正男暗殺事件に新展開 マレーシア雇用主の正体(上)(Forbes)
航空機事故とはなんら関係ないかもしれないが、一般人のなかなか気づかないところに、ぽっかり空いた闇を覗いてしまったような、ちょっと背筋が寒くなるような話題だった。
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Yoko Deshmukh
(日本語 | English)
インド・プネ在住歴10年以上の英日・日英フリーランス翻訳者、デシュムク陽子(Yoko Deshmukh)が運営しています。2003年9月30日からインドのプネに住んでいます。
ASKSiddhi is run by Yoko Deshmukh, a native Japanese freelance English - Japanese - English translator who lives in Pune since 30th September 2003.
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