2005年3月30日の記事から:あなたのその言葉、相手にどう受け止められているでしょうか

 

Posted on 03 Mar 2017 23:00 in アーカイブ特集 by Yoko Deshmukh

自分のバカさ加減をさらすような内容になってしまいましたが、このような経験が日常的にあるために、無意識にでも不用意な発言を慎むよう、とても気をつけるようになって今があります。



いま、インドは結婚式シーズンたけなわである。

団地内で、いつも何かにつけて気にかけてくれるクルカルニ(Kulkarni)おばさんの娘さんも、日曜日に嫁ぐことになっていて、お宅からはいつも楽しげな笑い声が漏れてくる。
お腹の底から湧き出してくるような、大勢の幸せそうな笑い声を聞いていると、こちらまで幸福のおすそ分けをいただいているようだ。

わたしはたびたび、「インドという国に暮らす意味」と向き合い自問を続けてきたが、まだインドに住み始めて1年半くらいしか経っておらず、「無知」であっても現在ほどの罪悪感に苛まれずに済んでいたはずの、このころにも、同じような悩み方をしていたことが分かった。

わたしのインド 2005.3.30(水)

配偶者がインド人だと言うと、わたしは日本では日本人に、インドでは日本人も含めた外国人に、ごく自然に「よくご両親に反対されなかったね」という言葉をかけられる。

最近まで、愚かにもわたしはこの問いに、かなりまじめに答えていたものだった。
「両親が彼を気に入ったんです」そう答えると、意外な顔をされるので、「これこれしかじかで、両親は彼の良さをわたし以上によく分かっていたのでしょう」と丁寧に補足説明までしていた。

今のわたしなら、きっとこう答えるだろう。
「はい?どういう意味ですか?」
すると相手は、まるで当然のように、次のように付け加えるのだ。
「だって、インド人でしょう?」

それは単なる好奇心から発せられた言葉なのかもしれない。

たとえば、あなたが選んで結婚した人がいたとしよう。
「あなた、ご両親は大丈夫だったの?」といきなり言われたら、あなたはどう感じるだろうか。
「へぇ、とても理解のあるご両親で、あなたは幸せだね」などとおもむろに言われたら、あなたは「立派な両親を持ったものだ」と、うれしくなるのだろうか。

バカで世間知らずなわたしは、なかば当たり前のようにかけられる、このような言葉が、どんなに無礼千万なものであったのか気づくのに、15年もかかってしまった。
毎回毎回、同じ説明を尽くすたびに、心の中にしこりが広がるような違和感があったのに。
それは言うまでもなく、わたし自身がそうした質問をしてくる相手と同じ次元の人間だということだ、それが事実だ。

わたしたちの結婚は、お互いの両親ばかりか、祖父母からも心からの祝福を受けることができた。
このことを、とても幸福だと感じるし、心からの感謝をしているし、一生その気持ちを忘れないでいるつもりだ。
ただ、それだけのことだ。






About the author

Yoko Deshmukh   (日本語 | English)         
インド・プネ在住歴10年以上の英日・日英フリーランス翻訳者、デシュムク陽子(Yoko Deshmukh)が運営しています。2003年9月30日からインドのプネに住んでいます。

ASKSiddhi is run by Yoko Deshmukh, a native Japanese freelance English - Japanese - English translator who lives in Pune since 30th September 2003.



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