こんなわたしでもインドに住める!なんて事例にはならないかもしれないけれど

 

Posted on 18 Feb 2017 23:00 in ASKSiddhiのひとりごと by Yoko Deshmukh

昨年は「かさこ塾」に参加させてもらい、これまでの人生を棚卸しをする機会があったのですが、あのときにはあまり意識していなかったようなことを、いまになって深く考えるようになっています。



わたしがインドに渡ったのは、特別インド好きだったからでも、インドに関心があったからでもない。
英語での会話が日常的にできる場所に、できるだけ長く滞在したかったからだ。
なぜそれがインドだったのかということについては、ひとまず今日のところは、さまざまな偶然が重なったからだということにしておきたい。

まだ九州で学生をしていて、自分の将来について考え始めたころ、わたしは当時の周囲の環境が、もしかしたら自分に合っていないのではないかと感じていた。
自信がまったくなく、友達もできにくく、そして頭の中には常に、グレーの霧がかかっているような状態だった。

そんな自分が好きなわけはなく、ここから脱する一番よい方法は、環境を変えることだと思い立った。
しかし、たとえば最も手っ取り早いのは、多くの人やチャンスが集まるとされている東京に行くことだろう。
わたしの場合、町田市に祖母宅があり、小さい頃から比較的よく出かけていたのだが、あのような場所で、すぐ自分にできる何かがあると思えなかった。
日本の首都であり最大の都市がダメなら、選択肢を広げて海外に出かけようと、極端かもしれないが、そのように考え、ついでに英語を自由に使えるようになろうと思いついた次第である。

世界のどこかには、わたしの居場所があるだろうか。

ところで当時、英語と言えば中学生レベルも怪しいぐらいのわたしだったが、日常会話レベルの語学力については、大金をかけて英会話教室などに通って習得するものではない、という信念は当時からあった。
自分が楽しく続けられる方法を見つけて独学し、そして英語を使い続けられる環境を探すこと。
そのために、インターネットで世界中のメールフレンドを探せる「イーフレンズ(eFrenz)」という掲示板にプロフィールを登録し、メキシコ人、シンガポール人、エジプト人、そしてインド人などと交流、まずは英語でのメールやりとりから基礎を固めることを試みた。

その中のひとり、インド人がほぼ毎日、メールの返信をくれていたので、最初の「居場所探し」の行き先がインドになった。
簡単に言うと、そういう経緯なのである。
初めてのインド渡航は、911米同時多発テロ直後の、世界中が不穏な空気に包まれていた2001年11月のことだった。

ところでこの記事を、とあるレストランで食事をしながら書いていたのだが、日本で歯科治療して被せ物をしたところが「ガリッ」と音を立てて割れた。
わたしは極度の歯科恐怖症で、プネーで歯科治療を受けたことがない。
インドは言わずと知れた歯科大国、これはもうひとつのチャンスかもしれない。
それに、この数年をかけて、虫歯はすべて治療してしまったので、もう怖いことはないだろう。
腕のよいところを紹介してもらって、思い切ってインドの歯科デビューをし、ASKSiddhiでご紹介したい。
ついでに、たくさんある銀歯をセラミックにした場合の見積も取ってもらおうかな。






About the author

Yoko Deshmukh   (日本語 | English)         
インド・プネ在住歴10年以上の英日・日英フリーランス翻訳者、デシュムク陽子(Yoko Deshmukh)が運営しています。2003年9月30日からインドのプネに住んでいます。

ASKSiddhi is run by Yoko Deshmukh, a native Japanese freelance English - Japanese - English translator who lives in Pune since 30th September 2003.



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