今年1年を振り返ってみると、ハイライトはやはり、インドはマハーラーシュトラ州アコラに住む姪、ラーダちゃんの、念願の来日がついにかなったこと。
先に福岡に来て待ち構えていたわたしと、実家の母とが到着ゲートで迎える中、恥ずかしそうに荷物を持って出て来たラーダちゃん。
そんなラーダちゃんだが、それから数日後、長崎のハウステンボスに家族で1泊旅行したときには、母やわたしと一緒に生まれて初めての公衆浴場にちゅうちょなく挑戦、その勇気と好奇心に感服した。
日本を大変気に入ってくれたラーダちゃんは、2017年はまずプネで日本語をある程度勉強して、次は自分の力で日本に戻ってくる機会を模索している。
めっちゃキュートなラーダちゃんの、
めっちゃキュートだけど上手な箸使い。
もうひとつのハイライトは11月、初めてのヨーロッパ渡航をポルトガルから刻むという、長年の夢が叶ったこと。
ポルトガルといえばインドとも日本とも歴史的なゆかりの深い国で、案の定とても興味が尽きず、しかもヨーロッパ初心者かつ発展途上国からやってきたわたしたちアジア人にもとっつきやすい文化と物価に、住みたいぐらい好きになった。
治安もよいが、経済がよくないので、インドほどではないにしても街には物乞いが目立った。
そんなポルトガルでも移民、特に起業家やスタートアップなどの力を借りて、情報技術産業を中心に経済発展を模索しているようで、オフィスの賃料も家賃も、首都リスボンですら小さなところであれば1000ユーロを超えることがめったになく、比較的リーズナブルのようだ。
叶うならば、ノートパソコン1台でポルトガル進出なんて、粋なことをやってみたい、と本気で思っている。
インドや日本とポルトガルを結ぶようなことが、何かできないかな。
わたしにとってリスボンは、
パナジ(Panaji、ゴアの州都)の巨大版。
このほかには、5月から6月にかけて一時帰国して「かさこ塾」を受講、フリーランスとしてのセルフブランディングの大切さを学んだ。
なかなか「素の自分」、「ありのままの思いの丈」をブログで綴る勇気は持てていないが、ブログの更新こそが自らの存在を世に知らしめる最も簡単な手段であるということには合点がいった。
「かさこ塾」を通じて、いろいろな人がいろいろな活動に取り組んでいることも知ったし、年末にはラファエラさんの「インナーチャイルド・セラピー」を受けて、自らに向き合うきっかけを得た。
2017年は、どんな年になるのか分からないが、何かこれまでと大きく違う、新しいことが始まりそうな予感がする。
だからこそこの年末の大きな「うつ状態」は、ブラックホールだったと思いたい。
ところで昨日は、近年になってなぜか毎年、顔を出させてもらっている、出身高校の同窓会だった。
わたしは高校生のとき、学業成績も悪く、友達もほとんどできず、ランチタイムが苦痛でトイレで過ごしたり、修学旅行もひとりで回ったりした経験の持ち主なので、楽しい思い出は多くない。
ただし幸いにも親の愛情をたっぷりと受けて育ったわたしは、若く健全な精神だけを支えに、わたしなりに数えるほどの友達と呼べる存在ができたり、初恋があったりした。
高校卒業後、インドを「発見」するまでのわたしには、精神的にかなり落ちた時期があった。
しかし少なくとも高校に在籍していた当時は、高校生活こそ他人から見れば暗闇のようであったかもしれないが、未来への希望という光があったことは事実だと思う。
そんなわたしの過去を踏み固める目的もあり、また現在の職業である翻訳という仕事に取り組む中で、当時の学業成績は悪かったものの、高校の時の英語の授業をよく思い出すことから、学年主任だった英語の先生に改めてお礼を言う目的もあって、顔を出したのだ。
ところが、その英語の先生が急病で、昨晩は同窓会にいらっしゃらなかった。
「会いたい人には会いたいと思った時に会い、伝えたいことを毎回きちんと伝えるべし」との友人の言葉を痛切に思い出した年末だった。