左端が今回マレーシアへの研修旅行に向かったラーダちゃん、
わたしの右隣が下のシッディちゃん。
右端が息子と一緒に旅立つ女性。
みんな英語でほぼ完璧にコミュニケーションが取れる。
昨日から、インド最大の年中行事「ディワリ(Diwali)」休暇のため、シッダールタさん故郷アコラ(Akola)に来ている。
いつもの単調かつアコラに近づくにつれて極めて悪路を挟む、500キロのマハーラーシュトラ州内疾走も、2年半前に福岡の母がアジャンターやエローラへの観光とあわせて、わざわざアコラまで訪れてくれた時に通ったダバ(ハイウェイ食堂)に立ち寄っては、思い出話に花を咲かせつつ、あっという間に走破した。
プネを出たのが朝5時半。
昇る朝日をシッダールタさんが助手席から激写。
今回も運転を担当してくれたプラビンさんに感謝だ。
アコラに到着するや、しばらく休息してプラビンさんはバスでプネに帰っていく。
すっかりいつものディワリ通りだ。
いつもおなじみアムリトサル・パンジャーブ・ダバ。
いつの間にか「Trip Advisor」にも掲載されるようになっており、評価もかなり高い。
ただひとつ、いつものディワリとは決定的に違うことがある。
それは、みんなから愛されたお祖母さん(シッダールタさん母方のお婆さん)が今月のはじめ、87歳で亡くなったので、今年は派手な花火やお祝いを控える「喪のディワリ」となること。
お祖母さん、自分のことはいつも後回しにして他の人のことばかりを考え、尽くしてきた人だった。
アコラよりもさらに田舎のワランガオン(Varangaon)という村に住んでいたため、ディワリでアコラに滞在したら、帰りに必ずお祖母さんの住む村を通って顔を見せていた。
あの優しかったお祖母さんが、今年はもういないのかと思うと、悲しく、寂しい。
マラーティー語しか話さないお祖母さんだったので、意思の疎通には苦労した。
それでも遠い日本という国のこと、そしてわたしのことに、いつも興味を持ってくれて、一生懸命に話を聞いてくれた。
星の人になったお祖母さん、今わたしのことをすっかり理解し、見ていることだろう。
10年前に旅立った、天国のお祖父さんと再会しているかな。
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さて、アコラという街は特に見るところもなくゴミゴミとした典型的なインドの中流都市で、わざわざ来てもシッダールタさん実家の他に、行くところもすることもない。
ところが今回は、わたしたちが到着したその日に、上の姪で6月に日本に来てくれた20歳のラーダちゃんが、マレーシアへの3泊4日の研修旅行に旅立つ日と重なり、到着早々激励もそこそこに、アコラ駅まで見送りに行った。
同じ研修に参加する、ラーダちゃんの老若男女さまざまな学友たち30名あまりと一緒に、プラットフォームで列車を待った。
中には「毎年この海外研修を楽しみに参加している」という、40代後半とおぼしき男性もいた。
ラーダちゃんの幼なじみという23歳の男性は、なんとお母さんと一緒に参加するといい、2人とも初めての海外、初めての異国への期待と希望に胸を膨らませ、目をキラキラと輝かせていた。
それにしてもアコラでこれほど大勢の人と、流ちょうで自信に満ちた英語でお話したのは初めてだ。
今回、ラーダちゃんが参加したマレーシアでの研修旅行は、「Aspire」という、いわゆるオープンカレッジが毎年運営するもの。
昨年はタイ、一昨年はシンガポールと、研修先も毎回異なるようで、現地の大学との交流会をはじめとする、様々なワークショップや異文化交流などを行う。
このオープンカレッジ、ラーダちゃんだけでなく、17歳の姪シッディちゃん、そして最近ではその両親も通っている。
アコラという街で実施されているものとしては(といっては失礼だが)、かなり本格的できちんとしたプログラムを組んでおり、なかなか興味深い試みに感じたので、明日その内容を詳しくお伝えしたいと思う。
それにしても、3泊4日のマレーシア滞在のため、アコラからチャットラパティー・シヴァージー国際空港のあるムンバイまで移動するだけで列車で10時間がかり。
したがって空港までの移動で丸1日食ってしまうというのは本当に大変なことで、アコラに民間空港ができる遠い日を待ちたい。