ヴィクトリア・メモリアルの博物館

 

Posted on 11 Mar 2024 21:00 in トラベルASKSiddhi by Yoko Deshmukh

コルカタ市内には、少なくとも15か所ほどの博物館が点在しているそうです。



「Incredible India」によると、インド・サラセン様式のヴィクトリア・メモリアル(Victoria Memorial)は、1901年に没した英ヴィクトリア女王に奉献するため、時の皇太子(後の英国王ジョージ5世)の勅命により15年もかけて建設された。
20世紀も初頭の、第一次世界大戦前後で西側情勢が混乱の中にある微妙な時期に、霊廟という名目にしてはあまりにも前時代的な巨大建造物を、長大な時間と莫大な資金、そして植民地のタダ同然で使役できる膨大な労働力を動員して建てた、その背景について想像すると興味深い。

Victoria Memorial - Incredible India



 

つまり建物自体はまだそれほど古くないためか、前日に訪れたインド博物館よりは美しく保たれていた。

館内は博物館としても開放されており、特に上階では「インド独立運動の闘士たち」展を開催中で、非常に見応えがあった。
中でも「中村屋のボース」として知られるラース・ビハーリー・ボース(Rash Behari Bose)が、血気盛んに支配者への挑戦を続けたために、カルカッタが危険地帯とみなされ英領インドの首都がデリーに遷都したこと、亡命後は日本の軍人らと緊密に交流していたこと、英国と敵対していた第二次世界大戦中の旧日本軍の作戦にも多少なりとも影響したことなど、大きなリソースを割いて紹介してあり、こうしてあのインパール作戦へと至っていったのかと、その経緯に思いをはせた。
デジタルによる視聴覚資料も駆使した素晴らしい内容で、状態からも定期的に差し替えられているようで、よく整っていた。

また下階ドーム型の本堂には、「今月の特別展示」として東京裁判で一貫して日本の無実を訴えた、ベンガル出身の法律家ラダ・ビノード・パール(Radhabinod Pal)と、岸信介元首相はじめ日本とのつながりに関連する、判事ゆかりの展示物を見学することができ、感激だった。

入館料は、国内在住者も含むインド人料金50ルピーだった。
PANカードやAadharの提示を求められることもなく、自己申告でオッケーだった。

それにしても、前日のインド博物館にしろこの日のヴィクトリア・メモリアルにしろ、訪れる人々は展示物どころか周囲にもまったく関心なく、「ねぇ見て博物館を訪問するアタシ/オレ」証拠写真のセルフィー撮影に余念のないご様子で、控えめに申し上げてジャマだった。
 


靖国神社でも見られる記念碑と似た体裁のパール判事パネル資料。
下の写真2点はパール判事のご子孫らと、駐印日本大使らとのスナップ。
 


岸元首相と会合するの図。
 


初期の闘士たち。
割と皆さん最初から植民地支配に抵抗していたんだよね。
中央は、日本の教科書にも登場するラクシュミー・バーイー。
 


波乱の人生を歩んだ、中村屋のボース氏。
 


多くの若い女性たちも、独立を勝ち取る戦いに加わっていった。
 


名前からマハーラーシュトリアンとすぐに分かるこの方は、
「戦おうと立ち上がったけど、途中で諦めちゃった系」男子。
情熱より実益を取りがちなプネーカーのDNAにも通ずるよね。


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About the author

Yoko Deshmukh   (日本語 | English)         
インド・プネ在住歴10年以上の英日・日英フリーランス翻訳者、デシュムク陽子(Yoko Deshmukh)が運営しています。2003年9月30日からインドのプネに住んでいます。

ASKSiddhi is run by Yoko Deshmukh, a native Japanese freelance English - Japanese - English translator who lives in Pune since 30th September 2003.



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