「Love India?」「イエス」と断言できないわたしにできること

 

Posted on 10 Mar 2016 23:00 in ASKSiddhiのひとりごと by Yoko Deshmukh

SNS上で見かけた一片のコメントが、改めてインドに対する姿勢を整理するきっかけをくれました。



*Photo of "The Mountain Man" movie brochure, from a copyright-free space.

2003年から、インドの前向きな面、あまり知られていない面を探し出して記録し、紹介することを目的に運営しているASKSiddhi(アスクスィッディ)。

本日、インドでまたしても発生した残忍極まりない暴行事件の報道について触れ、どなたかが「在印邦人で(中略)『こんな報道のせいでインドの印象が悪くなる』 等と放言する人…しかも女性!…がいるのも事実。」とコメントしているのを偶然、目にした。
本当にそういう人がいるのかどうかは定かではないものの、この一言は、自分自身の在り方にも一石を投じるものだった。

わたしは、このようなサイトを運営していながらも、実はインドについては嫌いな部分が多い。
そればかりか「インド大好き」と言っている人には、「あんた、インドの何を知ってるんだよ」、「じゃあインドに10年ぐらい住んでみろよ」と(あくまで心の中で)喧嘩を売っている。

わたしの場合はどちらかと言うと、人生の船着き場がインドだったので、たまたまインドに住んでいるだけという方が正しいかもしれない。
常にチャンスがあればインド以外のところで暮らしてみたいと思っているし、インドについて、もっと勉強をしなければと思いつつ、なかなか身が入らないのが現状である。

ちなみに日本にしばらく帰って暮らそうか、という選択肢も、現在のところはその必要性もないし、考えていない。
山崎豊子さん作の「沈まぬ太陽」で、各国をたらい回しにされた主人公が、確かに辺境での駐在で辛いこともあるし、家庭の事情もあるだろうし、また時代背景もあるのだが、なぜあんなにも日本に帰りたがっているのか、自分に置き換えてみると解せないな、と感じる部分があった。

ASKSiddhi立ち上げ当時の2003年ごろは、ちょうど未知の国インドへの移住に際して情報を集めようとしても非常に限られており、しかもその大部分がガンジス河のことやらカースト制度のことやら、ステレオタイプなものか、「トイレットペーパーがない」など、少なくともこれから移住しようとしている人にとって、あまり励まされるような内容のものではなかった。
加えて今になって分析してみると、夫のシッダールタさんはどちらかと言うと「インディアン・プライド」が強い人で、このサイトの運営は、そんな彼の影響を大きく受けてきたのだと思っていた。

しかし近年になり、ASKSiddhiもよくネタ元としている「The Better India」をはじめ、新聞各紙のウェブ版、さらにマラティ語ニュースチャンネル「ズィー・マラーティー(Zee Marathi)」や、国営テレビ放送「ドゥールダルシャン(Doordarshan)」までもが、報道番組の一コマを特設して、インド発ポジティブ・ニュースの発信を始めた。
そうなってくると、日本に住む日本人の皆様には既視感があるかと思うが、「インドすげぇ」、「インド最高」みたいな空気を少なからず押し付けられているような違和感を感じ、「いや、それもインドだけど、そうじゃないインドが大部分だよね」、「ていうか、それが個人にできるなら、行政や大企業は何やってるんだよ」と反発を覚えてしまうのである。

その考えをシッダールタさんにぶつけてみたら、
「まず『インディアン・プライド』はインド人として多少なりともあるかもしれないが、僕のASKSiddhiに対する思いは、そんなものではない。

インドでは実際、数々の耳を疑うような醜悪な事件が多発しているし、賄賂の蔓延をはじめ、社会構造も複雑かつ歪曲し、非効率で、目を覆いたくなるようなことが少なくないよね。
僕も自国ながら、あきれ、失望することばかりだよ。

でも、そんな暗黒な状況の中でも希望を失わず、前へ進もうとしている人もいる。
貧しいからとか、政府が何もしてくれないからとか、環境や他人のせいにして嘆くのではなく、自らの力だけを頼りに、不屈の精神で道を切り開こうとしている人がいる。

そういう『人』に焦点を当てる場所があってもいいんじゃないかと思うんだ。
少なくとも僕は、そうした人たちの存在を知ることで、勇気づけられるし、明日への活力をもらえる。

例えば昨日、ズィー・マラーティーでは、子どものころの怪我が原因で片腕を失い、しかも15歳にして父を亡くして一家の大黒柱になることを余儀なくされ、重圧に耐えきれず何度も自殺を考えたがなんとか踏みとどまり、その後、創意工夫して父から継いだ荒れ地を豊饒な農地に生まれ変わらせた男性について報道していたね。
この男性は番組の最後に、干ばつが続き農作物の不作に直面し、絶望のあまり自殺する農業従事者たちが絶えない現状に、『俺にだってできるんだ、だから死ぬな!とにかく生きてさえいれば何とでもなる』というメッセージを発信していた。

悪いことに蓋をして、黙殺しようというんじゃない。
でも、そうした情報は、ASKSiddhi以外の場所で取り上げてもらっても、十分に間に合うだろう」

この国の多くの人は、わたしたち日本人が成人であれば当たり前に身に着けているものと期待される倫理観や道徳観を持たず、十分な知識や教養を得る手段もなく、したがって自分や自分の属する共同体を「宇宙」だと思い、その外の世界に対する想像力が全くないまま一生を暮らしている。
だからこそ「想像を絶する」事件が繰り返し起きるのだ。

だが一方で、わたしたちから見た、こうした「未開の人」たちの中に、驚くべき力と英知を発揮して、およそ信じられないような変革を引き起こして、人々を救済しているような人間もちゃんといる。

ビハール州で22年間かけて独り岩山を素手で掘削し、途中「頭がいかれている」などと悪口を言われても信念を貫徹、ついにトンネルを完成させて見せ、「陸の孤島」にあった村人たちが楽に別の村との間を往来できるようにした、昨年映画化もされたダシュラト・マンジー(दशरथ मांझी:Dashrath Manjhi、通称マウンテン・マン)氏などが記憶に新しい。
これだって、わたしたちの常識をはるかに超越した、「想像を絶する」人間の所業に他ならない。

世の中には良い人も悪い人もいて、良いことも悪いことも起こる。
しかし、その「良い」「悪い」の境界線は、そんなに単純に引けるものではない。

「良い人」も別の角度から見ると「悪い人」になるし(第2次大戦中にユダヤ人難民たちを救う命のビザを大量発給した杉原千畝(すぎはら ちうね)さんがよい例だ)、「良いこと」だと思ってきたことが、往々にして権力を持つ人が民衆を洗脳した結果だったりすることもあり得る。

特に、インドのような不平等の代名詞のような国では、善悪をはっきりと線引きするのは非常に困難だ。
またインドに限らず、クジラ漁などを典型として、わたしたち日本人が正しいと信じる倫理観や道徳観が、別の世界に行くと不正になることだってある。

その点を無視して、自らの主観のみ決めつけた良い点にしか目を向けないのは、罪ですらある。
悪い点も受け止め、分析し、世の中にさらして問題提起することが必要なこともある。

それでは「マウンテン・マン」のような人たちは、自らの偉業を誰かに吹聴し、注目してもらい、有名になることを目的に、長く地道な歳月を投じてきたのだろうか。
おそらく、自らの「宇宙」である地域社会の役に立ちたいという一心だったろう。
だとすれば多くの人にとって、特に多くの日本人にとって、彼らについて知ることができる機会も、誰かが彼らに注目して、それを彼らに代わって紹介することによってしか得られない。

そのように考えていくと、やはりわたしはASKSiddhiを、せっかく縁あって暮らさせてもらっているインドの、あまり知られていない人たちを発掘していく、ささやかな「発見の場」としていきたい。
その作業を源泉として、自らのインドに対する知識と教養、考え方を築いていきたい。

おかげさまで本日は、常日頃ちょっとモヤモヤしていた気持ちを吐き出し、整理する機会をいただいた。






About the author

Yoko Deshmukh   (日本語 | English)         
インド・プネ在住歴10年以上の英日・日英フリーランス翻訳者、デシュムク陽子(Yoko Deshmukh)が運営しています。2003年9月30日からインドのプネに住んでいます。

ASKSiddhi is run by Yoko Deshmukh, a native Japanese freelance English - Japanese - English translator who lives in Pune since 30th September 2003.



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