あの日から5年、遠く離れたインドの片隅から
Posted on 11 Mar 2016 23:00 in ASKSiddhiのひとりごと by Yoko Deshmukh
大震災発生直後、無力感からむやみな動きをしていたわたしに、そっと協力してくださった元勤務先の方々がいました。
大地震と、続く大津波により多くの尊い人命が失われ、現在も原子力発電所事故の収拾が全くついていない、未曽有の大災害とされる東日本大震災の発生から、早くも5年が経過した。
本日、5年前のあの日を振り返って、改めて思い出したことがある。
日本中が大変な衝撃と悲しみに包まれていた日々。
遠く離れたインドに住む一邦人として、痛みを同じものとして分かち合えていないという、もどかしさから、何かできることはないかと考え、当時勤めていた会社の経理責任者に相談して、社内から寄付を集めることにした。
それは社員の給与から、本人が希望する金額を差し引いて会社が代表して寄付をするという形で、後から訊ねたら、当時450名あまりの社員から、合わせて30万ルピーほど(当時のレートで80万円ぐらい)が集まったとのことだった。
希望額を記入してもらうために社員名簿を回していると、あくまで冗談めかして「日本は豊かな国なんだろう?俺たちの安月給からわざわざ給与を差っ引いて寄付しなくても」みたいなことを言う人もいたが、確かに当時にして、日本のIT業界の三分の一未満とされていた社員の給与水準を考えると、多くが快く寄付に応じてくださり、これだけ多額の寄付金を集めることができたのは、本当にすごいことだったと思う。
また大震災直後、在ムンバイ日本国総領事館にインドからの送金ルートを問い合わせた時、「日本からインドへの寄付金の流れはあっても、インドから日本へという反対の流れは今までなかった。しかし多くのインド人から、寄付金の振込先について問い合わせが殺到している。早急に日本赤十字社の口座開設をはじめ、手配したい」という回答があった。
このためインド側で集めた寄付金は、実際には被災地でもあり、しかも日本に派遣され、大災害に遭遇して怯えるインド人社員たちへの対応など、猛烈な業務に追われていた東京事務所の方が、1日も早く被災地に届けるため、振り替えに奔走してくださったということも知り、また頭が下がった。
このときの感謝の気持ちは、ずっと忘れない。
*English will follow tomorrow.
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Yoko Deshmukh
(日本語 | English)
インド・プネ在住歴10年以上の英日・日英フリーランス翻訳者、デシュムク陽子(Yoko Deshmukh)が運営しています。2003年9月30日からインドのプネに住んでいます。
ASKSiddhi is run by Yoko Deshmukh, a native Japanese freelance English - Japanese - English translator who lives in Pune since 30th September 2003.
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