「原爆の父」とインドの物理学者との、知られざる交流

 

Posted on 26 Jul 2023 21:00 in インド科学技術 by Yoko Deshmukh

2人とも、ほぼ同世代を生きていたんだな。Tちゃんおすすめの映画も観に行きたいです。



クリストファー・ノーラン監督の最新映画で最近再び脚光を浴びることになった、「原爆の父」として知られるアメリカの物理学者ロバート・オッペンハイマー(Robert J Oppenheimer)が、やはり物理学者で、「インドの核の父」と呼ばれたホーミ・バーバー(Homi Jehangir Bhabha)との篤い交流があったことを、「Economic Times」の記事が伝えていた。

Physicist Robert J Oppenheimer's connection to India revealed in new biography amidst renewed interest
 


作家のバクティヤール・ダダボーイ(Bakhtiyar K Dadabhoy)が著した伝記、「Homi J Bhabha: A Life」では、オッペンハイマーはもしかするとインドへ亡命していたかもしれないという、意外な可能性を照らし出している。

723ページにわたるこの伝記では、バーバーと、サンスクリット語、ラテン語、ギリシャ語に堪能であったオッペンハイマーとの間に、文化や学習に対する共通の関心で結ばれた、親愛に満ちた知的な友情が存在していたことを記している。

オッペンハイマーの人生に転機が訪れたのは、自身が製造に協力した原爆が広島と長崎に投下され、想像を絶する惨状をもたらした時だった。
その良心により、これまでの研究によって道が開かれていた水素爆弾などの、より先進的な兵器の開発に反対するようになった。

こうした態度の変化により、1954年に米政府の調査対象となり、機密保持許可が取り消されると同時に、政策決定への参加から除外された。
加えて、共産主義との関係について根拠のない非難もあり、オッペンハイマーを取り巻く状況はさらに複雑化していった。

こうした混乱の中、驚くべき提案が浮上した。
インドのジャワハルラール・ネール(Jawaharlal Nehru)首相から、亡命を招待されたのだ。
これは、他でもないバーバーのすすめであり、困難な時期にあった盟友の物理学者からの友情と支援の表現だった。

結局、「汚名をそそがぬまま米国を離れることは疑惑をさらに煽り、疑惑の解決を妨げるだけである」との信念を表明し、この提案を辞退し、「自らが足跡を残した国に対する責任を果たすため」米国に残って学界と研究での仕事を続けた。 

映画により再び脚光を浴びることになったオッペンハイマーの生涯を、バーバーの伝記と合わせて味わってみたい。

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About the author

Yoko Deshmukh   (日本語 | English)         
インド・プネ在住歴10年以上の英日・日英フリーランス翻訳者、デシュムク陽子(Yoko Deshmukh)が運営しています。2003年9月30日からインドのプネに住んでいます。

ASKSiddhi is run by Yoko Deshmukh, a native Japanese freelance English - Japanese - English translator who lives in Pune since 30th September 2003.



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