ASKSiddhiの「原点」、北海道へ

 

Posted on 28 Dec 2015 07:00 in ASKSiddhiのひとりごと by Yoko Deshmukh

8月のデリー旅行記も書きかけの中、早くも2015年も残りわずかと連呼され、気ばかり焦る12月中旬、わが家のプネ在住インド人と福岡在住の母とでかけた、念願の北海道旅行について、記録しておきたいと思う。



*Soon arriving at New Chitose International Airport.


2015年12月中旬、気温30度のプネから気温10度の福岡に到着したばかりのシッダールタさんを、さらに極寒の地である北海道へと連行した。

2000年から2001年にかけて、わたしは英語を無料で勉強する格好の手段として、インターネット上で募集した海外のメールフレンド複数と、定期的に交信していた。
メールフレンドたちの国籍は、メキシコ、エジプト、中国、シンガポール、そしてインドで、みんなノンネイティブだったこともあるのか、「おまえの英語は下手すぎる!」という怒りのメールとともに音信不通となった中国の人以外は、時にはクリスマスカードなどを交換したりと、楽しくコミュニケーションしていた。

中でもインドの人は、当時すでに職場と自宅にインターネット回線を引いているということで、毎日メールが来ていた。
わたしの中に漠然とあった、「飢えた人であふれた暑い後進国」というイメージが、少しずつ変わり始め、インドに関心を持つきっかけとなった人だ。

ところでわたしは、大学生時代に、休学中も含めて2度、北海道で住み込みのアルバイトをした経験がある。
いずれも憧れの北海道に住むという夢を短期間でも叶えたいと、やはりインターネットで検索して見つけた職場だ。

初めて住み込みアルバイトをしたのは、まだ世界自然遺産に登録される前の、それほど混雑していない晩冬の知床のホテルで、大学の春休みを利用して3週間、レストランの朝食と夕食の準備を中心に、さまざまな業務を体験させてもらった。

ちょうど流氷がもっとも密度高く岸壁に押し寄せる時期で、仕事のない日中は、どこが海でどこが岸かの境目がなくなるくらい、遥か水平線までびっしりと埋め尽くす流氷の上を沖まで歩いてみたり、熊を追い払う鈴をつけてもらって、知床自然センターでウエア一式を借りてクロスカントリー・スキーに出かけたり、またアルバイト仲間で比較的年配のスタッフが運転するトラックに乗せてもらい、摩周湖や中標津、網走、遠くは釧路などへドライブに連れて行ってもらったりして、一生涯忘れられない楽しい思い出をたくさん作った。
仕事はきつかったが、憧れの北海道が、大好きな北海道になった3週間だった。

2度目のアルバイトは、インド渡航資金を稼ぐため、大学3年次を休学して半年間、富良野に行った。
実は当時のわたしは、今にも増して自信がなく、自分には何もできることがない、と落ち込み、うつ気味だった。
そんな自分をなんとか変えたい、そのためにはある程度の期間、日常から離れる必要があると切実に思っていた。

前述のメールフレンドとやり取りする中で、インドはまだ物価が安く、大きな資金がなくても長期間過ごせることが分かり、また、そのメールフレンドはこれまでにも、何度か日本の友人をホームステイで招いたことがあるとのことで、「ひとまずインドに、というよりも、この方の懐に飛び込んでみよう」と思い立ったのだが、そのための資金を稼ぐ段階から、非日常を選ぶことにしたのだ。

富良野での住み込みアルバイト生活は、人気観光地の夏季営業の手伝いだったこともあり、知床の時よりも同年代の若者が多く、「人生の宝物」とも言うべき、貴重な時間を過ごせた。
給与は破格の安さだったが、なにぶん山の中の何もないところに住んでいたので、出費の機会がほとんどなく、稼いだお金のほとんどを貯金できた。
毎日の終業後、職場の裏山に登って、美しい夕暮れと、満天の星を眺めながら、かりそめのバイト仲間たちと人生について語り合う時間が、なによりの至福だった。

しっかりと富良野で貯めたお金で、ムンバイ行きのインド航空(Air India)チケット8万円あまりを購入し、メールフレンドのアドバイスに従って3カ月分の滞在費用として2000ドルほどのトラベラーズ・チェックを購入しても、貯金の半分は残った。
この時の行き先は、プネ。
ホームステイのゲストとして迎えてくれたメールフレンドは、シッダールタさんだ。
その滞在時のことは、今後また、ゆっくりと記録したい。

このように、わたしにとって北海道は、紛れもなく現在のわたしの原点となった場所であり、そしていつまでも憧れの、大好きな土地なのだ。
そんな場所へ、ついにシッダールタさんを連れて行くことができ、感無量だった。
だからこそ、北海道ならではの大自然を肌で感じられる、すばらしい雪景色を、雪とは無縁の熱帯で生まれ育ったシッダールタさんに、ぜひ体験して欲しかったのだ。

とはいえ今回の旅は、たった3泊4日の駆け足である。
自らの郷愁に浸るよりもむしろ、同行する母やシッダールタさんに楽しんでもらうことがメインの目的だったので、ANAの「旅作」で航空券とホテルつきのフリープランを予約して、しっかりと現地観光を堪能した。
特に、プランにオプションでついてきた「スカイホリデーわくわくチケット」(クリックすると公式サイトから参考チケットがダウンロードされます)は、まさに「使い倒す」という表現がぴったりなほどお世話になり、代表的な観光地のほぼ全てに無料で入場できたほか、たくさんのカフェやレストランで、無料でグルメを楽しんだり、お土産となるお菓子を無料でいただけたことはもちろん、旅のガイドとしても大いに役に立った。

そこで束の間だが、「もしインド人と北海道旅行に出かけたら」気分を、ぜひ。


15年以上ぶりの札幌すすきの。
住み込みバイトしていた当時、わたしにとって札幌は、その後方に控える広大な大地への「玄関口」だった。
この日、気温は夜間に急降下し、日が暮れると路面の凍結が始まった。


札幌の大通り公園。
「しばれる」夜を、屋台のホットワインやトッポギ、ザンギなど(北海道の唐揚げ)を
つまみ食いしながら歩いた。


クリスマス直前で、「さっぽろホワイトイルミネーション」が幻想的。
こういう光景は、凍える寒さだからこそ映える。


さっぽろテレビ塔から望む大通り公園。
エレベーターのお姉さんによれば、札幌は190万人都市で、福岡よりもずっと大きな街なのだ。
人口は多いけど、インド人は少なそう。
実際、街でほとんどインド人や南アジア系の人を見かけなかった。
むしろ札幌在住のインド人ってPRポイントになるかもよ、と、
シッダールタさんにそれとなく、札幌移住を打診。
ところで「テレビ父さん」というネーミングのグッズが気になった。
また、展望室行きのエレベーターがある3Fではなく、
間違えて2Fでエレベーターを降りてしまったが、
そこはまさに旬の忘年会が繰り広げられる、宴会場フロアになっていたことに、
意表を突かれた。


滞在先としたホテルから近い新札幌駅に直結のショッピングビル、
「サンピアザ」にあるスープカレー屋「一灯庵」にて。
揚げたレンコンやジャガイモ、ゆで卵のほか、骨付きモモ肉がゴロッと入っていて食べ応えがあった。
店主によれば、どこか懐かしい、味わい深いスープは、「サンバル」ベースとのことで、
気になるサンバルパウダーは業者から仕入れているそうだ。
その「業者」とは、、、ますます気になる。


旭川に向かう観光バスの運転手さんは、弁舌なめらかなガイドも兼ねていて、
頻繁なトイレ休憩も取ってくれた。
パーキングエリアには、北海道と言えば、の「セイコーマート」。
わたしにとって「ふるさと」に帰ってきた気分にさせてくれる、オレンジ色の看板。


「北海道の天気は変わりやすい」と、バス運転手さんが言う通り、
雪が激しく降ったり、また止んだり。
この一面の雪景色を終始、目を見張って眺めるインド人に、
ちょっと得意顔してみたり。
ところでバスの中は暖房が効き過ぎており、顔がほてるほど暖かい。


旭川に到着。
今年はやはり暖冬で、だいぶ雪が少ないようだ。


旭山動物園にて。
雪が少ないため、ペンギンの散歩は残念ながら見られなかった。


旭山動物園の看板、シロクマさん。
「ピリカちゃん」が元気に往来する様子を眺めながら、
「北海道に居を構えることは現実的に可能か。主にマンションで」と、
真剣に計算していたことを白状する。


札幌のJRタワーから望む札幌駅。
雪に覆われ、しんとした駅舎。
ハイパワーのディーゼル車が、汽笛を鳴らしながら往来する。
あの列車は、今夜どこまで行くのだろう。


JRタワーから別の角度を望む。
雪がちらつき、藻岩山までは若干、視界が届かなかった。


JRタワー展望室のクリスマスツリー。
時間帯もあってか、展望室はカップルだらけで、
彼らの会話を盗み聞きするだけでも楽しい気分になれた。


ホテルに帰る頃には本格的に雪が積もり、路面も凍結。
恐る恐る雪を踏みしめ歩いて行くシッダールタさん。


深夜、ホテルからの眺め。
瞬く間に世界は白一色になっていった。
小型の除雪車が往来しているのも見えた。


朝、起きるとこの通りの銀世界。
こんな中でもジョギングをしている人を見かけて、目が飛び出そうになった。
さっぽろっこ、なまら強えぇ。


今日は、札幌を離れる日。
この街にとって、新たな美しい1日の幕開け。
うらやましくて、ちょっぴり切ない。


函館へは新札幌から「スーパー北斗」で。
「改札中」の表示は、寒いホームに長時間、乗客を待たせない工夫。


函館の宿は五稜郭近くに取ったので、効率的に観光を始めることができた。


函館に行ったら、ぜったいに外したくないファストフード店、「ラッキーピエロ」。
こちらは五稜郭タワー前店で、たしか15年ほど前に、福岡の友人と訪れた店と同じだ。
一番の人気メニュー、「チャイニーズチキン・バーガー」もクーポンで食べられて、
チキン好きのわが家のインド人は大喜び!
注文を受けてからひとつひとつ、作ってくれる。


ホテルがくれた周辺マップ。
「ラキピ」と「ハセスト」にフォーカス。


はこだてクリスマス・ファンタジー」は、ムードを盛り上げる雪がなくてちょっと残念。
この後、神様のちょっとしたイジワルで、函館山ロープウェイに乗って
夜景を観に行く時間になって、降雪と霧の発生のダブルパンチとなり、
山頂からの視界はゼロ、あのすばらしい景色を見ることができなかった。
この日は、大勢の中国人ツアー客が、わたしたちと運命をともにしていた。


函館限定の、食べて欲しいものナンバー2、ハセガワストアの「とりべん」。
ホテル最寄りの「ハセスト」まで、雪の中を往復30分かけて買いに行ったが、
その甲斐ある味。


帰りの新千歳空港から。
激しい雪でもオペレーションに支障ないのは、さすが本物の雪国。
そういえば函館駅まで利用したタクシーの女性運転手さんから、
「お年寄りは、雪が降るとがぜん、奮起して、夜明け前の早朝から、
競うようにして雪かきをする。だから非常に足腰が強い」というような話を聞いた。


さよなら北海道。
またすぐに帰ってこられますように。
というか、できればしばらく暮らしたいし、それも可能かも。
だって今のわたしは、パソコン1台あれば、どこへでも行ける。






About the author

Yoko Deshmukh   (日本語 | English)         
インド・プネ在住歴10年以上の英日・日英フリーランス翻訳者、デシュムク陽子(Yoko Deshmukh)が運営しています。2003年9月30日からインドのプネに住んでいます。

ASKSiddhi is run by Yoko Deshmukh, a native Japanese freelance English - Japanese - English translator who lives in Pune since 30th September 2003.



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