OCI課のおじさん、そして念願のホウズ・カース

 

Posted on 04 Sep 2015 22:50 in トラベルASKSiddhi by Yoko Deshmukh

このお菓子の味は、いまでも忘れられません。



繰り返しになるが、今回のデリー訪問の目的は、今後もインド生活を問題なく送るうえで非常に重要なパスとなる永住ビザ、「OCI Card」を受け取りに行くこと。
従って、あらゆる予定より優先して、まずはアールケー・プラム(RK Puram)のデリーFRRO(Foreigners' Regional Registration Office, Delhi、リンク先:まさら通り)に向かう。

ドワルカのホテルからはUberでおよそ30分、途中、運転手さんが道を分からなかったため、何度か通行人や道端の商店主の方々に尋ねながら、ようやく辿り着いたオフィスは、警察署の敷地内にあった。
あまりにも対応のよい、好青年な運転手さんだったので、できれば待機しておいていただき、次の目的地にも連れて行ってもらいたかったのだが、Uberの方針でそれはできないとのこと。
「でも、僕はしばらくこの辺りにいますから、あなたからのリクエストがあった時に空いていたら、直行しますよ!」と言ってくれた。

デリーFRROオフィスは、プネFRO(Foreigner's Registration Office, Pune)に引けを取らないボロっちい建物だが、思ったほど混雑していない。
入口で簡単な荷物チェックを受けてから建物に入ると、OCI担当課は、左手の冷房の効いた一般外国人登録セクションではなく、さらに奥だと案内された。
そこは4~5人の職員さんが、ちゃんとした窓口もなければ冷房もない区画に、机を寄せ集めて固まっているといった趣のカウンターだった。


デリーFRROオフィス

事前に電話で取りに行く旨を連絡しておいたので、すぐに「おぉ、あなたが、わざわざプネから来たお方じゃな?まぁ座りなさい。すぐに出してあげるから」と、電話口に出た方と同じ声の、初老の男性が対応してくれた。
おじさんは、今まさにランチボックスを携えて昼食に立とうしていたところだったのに、着席し直して眼鏡を鼻先までずらし、わたしの名前をつぶやきながら、指をなめつつ輪ゴムで留めた数十名分ぐらいのOCIカードの分厚い束の中から、一生懸命に探してくれている。
しばしの格闘の末、おじさんはわたしのOCIカードとVISAシールを「これじゃな」と無事発掘、シールは心を込めてパスポートにぴっちり貼り付け、カードとシールに「えいっ」とスタンプを押してくれた。


「Citizen of India:インド国民」と書いてあるが、二重国籍を認めているわけではない。
日本(または外国)パスポート保持者にとっては、「永住権」と同義である。

かくしてあっけなくも、晴れて「インド永住権」を手にしたのである。
おじさん、ありがとう。
インド、ありがとう。
「शुक्रिया!」(シュクリヤー、ありがとう)と、心から手を合わせたら、おじさんはにっこり笑った。
そしてこのOCIカードが、以降のデリーとアーグラーの旅において、最大限の威力を発揮してくれることになるのである。


デリーの公務員住宅地かな?


アールケー・プラムからデリーの注目スポット、ホウズ・カース・ヴィレッジ(Haus Khaz Village)までは、OLA Cabで15分ほどの距離だ。
わたしはこの場所のことを、インドでの一風変わった生活を色鮮やかに描いた沼津マリーさんの4コマ漫画「インドでキャバクラ始めました(笑)」で知った。
なんでもデリーの若者に人気のスポットだそうで、知った当時は遠いデリーのこと、「ふ~ん、そんな場所があるんだねぇ」ぐらいにしか受け止めていなかったのだが、今回のデリー訪問が決まって真っ先に「行ってみるっぺ」と思い立った、ミーハーなわたしだった。

OLA Cabがホウズ・カース・ヴィレッジの入口に近づくにつれ、狭い道路がいよいよ混雑してくる。
外国人観光客とおぼしき人たちが、途中でオートリクシャーを降りて歩いているのを見て、わたしたちも降りることにする。
 


ホウズ・カースの入口。この時点では、とっても「わくわく」


下調べをほとんどせずに訪れたこともいけないが、インド最先端のデザイナーが手がけるショップが集まる場所であると聞いても、雑貨だとか、ショッピングだとかに関して、まったくと言っていいほどセンスを持ち合わせていないわたしには、正直に申し上げて「暑苦しくて臭くて薄汚い路地裏」ぐらいしか感じ取ることができなかった。
感受性が低くて、ごめんなさい。
 


ホウズ・カース・ヴィレッジ。この先の住民たちなのか、車やバイクがひっきりなしに
通り抜けていくので、のんびり歩いていられない。
 

パブなどの、こじゃれた飲食店も立ち並んでいたので、数件ひやかしに入店してみたのだけど、これと言って興味や惹かれるようなところもなく、「ていうか、プネーのほうがもっといい場所あるよね」と思ってしまった。
コレガオン・パーク(Koregaon Park)とか、ここよりずっと広いし、楽しいよ?
 


路地裏の落書き風壁画。
 

ホウズ・カースについては、プネーに戻ってから、こちらのリンクを参照し、訪れる人の感性が豊かであれば、すばらしい発見に満ちた場所であることを再確認した。
最新のファッションなら ハウスカス・ビレッジへ!_ インド駐在ブログ:マカイバリ紅茶日記
ハウスカス・ヴィレッジ Hauz Khas Village _ インドへ行こう♪

でも、食いしん坊のわたしにとって、「ホウズ・カース・ヴィレッジに来て良かったなぁ~」と心底、思えたのは、TripAdviserで教えてもらった洋菓子店「L'Opera」と出会えたこと。
 


L'Opera店内。涼しくて、ひとときの癒し。


白を基調に、落ち着いたマホガニー色のセンスよい調度でまとまった、こじんまりとした店内は、フランス菓子店を絵に描いたような構えだ。
ショーケースには、目にも美味な、とりどりのお菓子が並び、ウインドウ側のショーケースにはマカロンが、レジ脇のカゴにはパンも並んでいる。
さんざん目移りして選んだキャラメル・ミルフィーユ(225 INR)は、キャラメルのほろ苦さと、さっくり軽く焼き上げたパイ生地、甘さ控えめのカスタードクリームが、完璧なハーモニーを奏でる逸品。
思わず持ち帰りまでして、ホテルの部屋で入れたコーヒーとともにいただき、ふたたび至福の時を過ごしたのであった。
 


とびっきりおいしいお菓子だったため、食べることに集中しすぎて、かっこいい写真を撮り損ねた。


このほか、円筒形のプラスチック容器に入ったチョコレート・クッキー(170 INR)も購入し、アーグラー観光のお供にしたが、グラニュー糖と、ちょっぴりビターなサクサクのココア生地、そして芳醇なバターの香りが「アート」と言いたくなる、サクサクのおいしいお菓子だった。

ごみごみしたホウズ・カース・ヴィレッジを早々に辞して、隣接する遺跡群「ホウズ・カース・コンプレックス(Hauz Khas Complex)」(入場無料)で一休み。
 


ホウズ・カース・コンプレックス。右手のドーム型建物は、教師たちのお墓(Tumb)と思われる。
 

ここは13世紀から14世紀にかけて建造されたイスラームの大学(Madrasa)などの建築群を遺跡として残し、整備した公園で、涼やかな風を運ぶ緑と豊かな水を湛えた噴水池(Royal Tank)に、ほっと心が癒される。
きれいに清掃された芝生や木々では、たくさんのリスさんたちが遊び、人間の若者たちは遺跡にもたれて物思いにふけったり、くつろいだり、デートしたり、冗談を言い合ったりしている。
今は使われなくなった廃墟の壁を、巨大な蟻たちが一見無秩序に、せわしなく行き交っている。
傾き始めてなお強烈な西日の光線を浴び、薄桃色に染まった歴史の証言者としての建物群は、じりじりと静かに、その熱を返している。
 


ロイヤル・タンクを望む。水面からは一陣の涼しい風が。


ホウズ・カース周辺にはこのほか、鹿公園(Deer Park)や、バラ公園(Rose Park)なども点在している。
ただ、帰りのOLA Cabの到着を待つ間、ホウズ・カース・ヴィレッジ入口付近にしばらく立っていたのだが、この近辺で客待ちをしているオートリクシャー・ワーラーは、いかにもガラが悪そうだったので要注意。
 


帰りのOLA Cabから。運転手さんは個人名刺を差し出し、
「1日8時間/80キロ・デリー市内観光チャーター、1000ルピーにしとくよ」と
営業してきたが、安すぎるのもかえって怪しい。
 


鹿公園の入口
 


ホウズ・カース・コンプレックスは、リスさん天国。
 


ホウズ・カース・コンプレックスから見えた、カラフルなアパート。
眺めがよさそう。
 


ホウズ・カース遺跡について説明している。もともと貯水池として整備され、
その周囲に大学や、墓所、そしてモスクがあった。
13世紀から15世紀にかけて建てられた。
 


大学の北棟跡。ロイヤル・タンクの水面に突き出すようなユニークな形で建てられたようだ。
 

(続く)






About the author

Yoko Deshmukh   (日本語 | English)         
インド・プネ在住歴10年以上の英日・日英フリーランス翻訳者、デシュムク陽子(Yoko Deshmukh)が運営しています。2003年9月30日からインドのプネに住んでいます。

ASKSiddhi is run by Yoko Deshmukh, a native Japanese freelance English - Japanese - English translator who lives in Pune since 30th September 2003.



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