すべては数日前、三井さんから届いたメッセージによって幕を開けた。
写真家の三井昌志さんは現在、6回目のインド一周旅を敢行されているところだ。
三井さんのバイク旅のコンセプトは、「誰も行かない小さな町村で暮らす、普通の人たちの営みの中に宿る輝き」を発見することにあることを熟知している身としては、今回もプネーは素通りだろうと高を括り、ツイッターでご旅程の安全を祈願しつつ、そっと見守っていた。
しかし予想に反し、三井さんから「数日後にプネー通過」の知らせを受け取ったわけである。
「でもなぜ今プネー?」という疑問は確かにあり、実のところ依然として、その謎は解決しないままだ。
「憧れのあの方」が家に泊まる。
うれしさの中に、ドキドキする緊張感を味わいつつ待った。
三井さんは22日の夕方、わがボロ団地に到着した。
前日の滞在地、マハーラーシュトラ州コンカン地方ラトナギリ(Ratnagiri)からは、間にデカンの山々が立ちはだかる、350キロあまりの道のり。
この距離を休憩なしのワンストロークで走破した、と至って当然のことのように語るのを聞いて、心底仰天したことは言うまでもない。
ただ、これまでミャンマーからインドへ、かれこれ2カ月も過酷な旅を続け、まだその途上にある三井さんの現在のお姿は、昨年の初夏に一時帰国先の福岡で開催された、三井さんのワークショップに参加した折にお目にかかったときよりも、さすがにお痩せになった印象がある。
三井さんのご到着前、初対面となるシッダールタには、「(あくまでインド的な文脈で)寡黙で、何を考えているかを測りにくい芸術家肌の方」という紹介の仕方をしていた。
実際には、三井さんは本物のタフガイである。
わが家に到着してからも、その翌朝(午前5時半ごろには起床)も、疲れを微塵も見せることなく、淡々と黙々と仕事を続ける「渋イケメン」ぶりを見た。
23日は、三井さんが「大好き」なムスリム商人たちが主に仕事や生活をしている市街、キャンプ(Camp)へ撮影にも出掛けられた。
それ以外の時間は、ある時は近所を散歩しながら、実に多方面の会話を楽しませていただいた。
わたしにとっては宝物のように大切にしたい時間だ。
その日の夕方には、写真やバイクを愛するシッダールタの知人たちと食事をともにしてくださったが、三井さんが何者であるかをよく知らない彼らが無遠慮に投げかけてくる質問にも、ご自身の作品を見せながら丁寧に答えてくださった。
ある人は三井さんの作品を、「この国に生まれ育った僕たちでも、決して見たことのない世界だ」と感嘆していた。
写真を見て心底感動するという体験をしたのは、三井さんの作品が初めてだ。
心を掴む力強いメッセージが込められている。
「プネーには僕の被写体はない」と断言する三井さん。
それは分かっている。
ならば三井さんの作品を、インド人はもちろん、在住外国人にも見てもらえるような、ワークショップのような機会を開催すれば、プネーに来てもらえる理由が生まれるのではないか。
幅広い層のファンが新たに生まれ、三井さんの写真集を世界中で手に取ってもらえる日が、そう遠くない将来に来るだろう。
24日の朝、三井さんは「今日は(プネーから北へおよそ300キロの)グジャラート州境サプタラ(Saputara)へ向かう」と言い残し、青いTVS Victorにまたがって颯爽と去っていった。
世の中には、凡人の想像をはるかに超える行動家がいる。
三井さんは紛れもなく、そのひとりだ。
三井さんと過ごしたことで自らの存在の小ささを実感し、それでもワクワクする気持ちが止まることはない。
三井さんは、ご自身が撮影対象とされている「渋イケメン」そのままの方だった。
三井さん直近の写真集
渋イケメンの国 ~無駄にかっこいい男たち~
渋イケメンの世界 ~美しき働き者たちへの讃歌~
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(※アタイの寝癖とハイな表情やばい)