インド独立から70年:故郷を追われたヒンドゥー教徒一家を救ったイスラーム教徒たち
Posted on 17 Aug 2017 23:00 in インドあれこれ by Yoko Deshmukh
国家、民族、宗教が、人を分断するラベルとしてではなく、異なるものを持つ人を理解するための目印になるならば、わたしたちは学ぶことをやめず、知的好奇心を探求し続けることができるのに。
15日、インドは70回目の独立記念日を迎えた。
おなじみの「The Better India」でも、インド独立に寄せた様々なストーリーを紹介している。
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インド独立は、パキスタンの分離独立と時をほぼ同じくするが(パキスタンの独立記念日は前日の8月14日)、この時、宗教により線引きされた国境線をまたいで、ヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の難民が大勢発生、それぞれ西へ、東へと逃避行する大移動が起こり、道中では疫病や飢饉がつきまとい、また血みどろの残虐行為が横行した、人類史上稀に見る大惨禍に発展したことも、よく知られている。
中でもわたしが心を動かされた、以下の記事は、独立直後の混乱の中での、祖母から伝え聞いた体験談を記録した手記となっている。
70 Years Later, My Grandmother Remembers Partition, and the Muslims Who Saved Her Father’s Life - The Better India
この記事の筆者の祖母(以降は女性、デリー在住で現在83歳)はヒンドゥー教徒で、パキスタン側パンジャーブ州のワジラーバード(Wazirabad)出身だ。
もちろん分離独立以来、一度も故郷の土を踏むことはできていないが、「今でも故郷の最寄りの鉄道駅から自宅に帰る道筋は、頭の中ではっきりと辿ることができる」など、数々の思い出話を孫である筆者に語っていた。
「昔はちょっと煩わしいとすら思っていた」と話す筆者だが、近年、分離独立時の史実に関心を抱くようになり、女性の話を細かく聴くことにした。
女性によれば、幼いころはヒンドゥー教徒もイスラーム教徒も、互いの家を行き来したり、料理のおすそ分けをし合ったりということこそなかったものの(宗教上の理由と考えられる)、平和に共存していたことを、子供心に感じていたという。
時勢が変化したのは、分離から数カ月前のことだった。
当時、不穏な噂が広がり始め、家族は一時、ジャンムー(現在のジャンムー・カシミール州)に身を隠した。
しかし、大きな動きがなかったため、いったんワジラーバードに戻った。
運命を変えたのは、女性が親戚の結婚式に出席するため、ヒマーチャル・プラデーシュ州を訪れていた時のことだった。
突然、ワジラーバードで暴動が勃発との報が届き、父親だけが戻って行った。
その時、住み慣れた街を覆い尽くしていたのは、憎悪に渦巻く人間による、同じ人間に対する筆舌に尽くしがたい残虐行為の数々で、その時に目撃したことを、父親は恐怖とともに生涯忘れることはなかったという。
為す術もなく途方に暮れる父親のもとへ、知人のイスラーム教徒の男性が駆け寄り、すぐこの街を離れて家族の待つヒマーチャル・プラデーシュに逃げるよう説得した。
父親は、自家用車に運転手、料理人、そして銃を携えた護衛を乗せての逃避行を始めた。
その際、少し遠回りになるがジェールム(Jhelum)という街を経由する方が安全であると判断したが、多くの人は近道のラーホール(Lahore)経由で逃げた。
ところが後に、ラーホール経路を取った人々は全員、国境地帯でイスラーム教徒の銃撃に遭い、命を落としたことを知ったという。
ジェールムに到着し、検察ポイントを通過しようとして一行を引き留めたのは、またしてもイスラーム教徒の警察官(thanedaar)だった。
「銃を取り上げられ、車は押収された。そして、彼らが我々を銃殺しようと話し合っているのが聞こえてきた。もはやこれまでと、殺されるぐらいなら川に飛び込み自害することを決意した時、警察官のひとりにヒマーチャル・プラデーシュ地方の訛りがあることに気づいた。すかさず『あなたはヒマーチャリ(ヒマーチャル・プラデーシュ出身者)ですね?我々もだ。どうか殺さないでくれ』と懇願した」
実はこの警察官の妻と子供たちも、インド側の国境地帯に取り残されていた。
「あなたにここで会ったのも何かの縁。あなたを助ければ、神が私の妻や子供たちを救ってくれるかもしれない」警察官は言い、国境を越える一行を護衛付きで送り届けた。
女性は「まさか父たちが、あの距離を徒歩で無事に帰って来るなんて想像もしていなかったから、最悪の事態を覚悟していた」と話している。
独立後の混乱の中、ヒマーチャル・プラデーシュも安全とは言い難い状況であったが、なんとか自宅に辿り着いた父を涙ながらに迎える家族のもとに、もうひとつの奇跡的な報せが届いた。
何者かによって放火されたワジラーバードの自宅で、懸命な消火活動にあたったのは、他でもないイスラーム教徒たちだったという。
しかも思い出の詰まった家具類は無傷のまま、ホウキ1本に至るまで、火消ししてくれたイスラーム教徒の有志らによって、家族が身を寄せていたヒマーチャル・プラデーシュの親戚宅まで届けられた。
「実際、ヒマーチャル・プラデーシュではイスラーム教徒が虐殺される事件が多発していた。しかしワジラーバードでは、同じイスラーム教徒たちが私たちを救ってくれた」女性は回想している。
この時、送り届けられた家具は、今でも女性が住むデリーの自宅で大切に使われており、人類史上最大級の国家の混乱と、その後のインドの発展を見守り続けている。
筆者は、この家具を見るたびに、分離独立前の祖母たちの平和だった暮らしに思いを馳せ、同時に大切な家具を救い出し、送り届けてくれたイスラーム教徒たちも、誰かに救われ、無事であることを祈らずにはいられないと結んでいる。
参考記事:世界史の窓 - インドの分離独立
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Yoko Deshmukh
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インド・プネ在住歴10年以上の英日・日英フリーランス翻訳者、デシュムク陽子(Yoko Deshmukh)が運営しています。2003年9月30日からインドのプネに住んでいます。
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