マドラサが果たしてきた本質的な役割とは
Posted on 25 Oct 2024 21:00 in インドあれこれ by Yoko Deshmukh
少数者というだけで歴史的事実までなきものにしてその役割を奪おうとする愚かな指導者らです。
「The Hindu」紙は、いまや国内に残る数少ないニュートラルな情報源として購読しているが、本日はアラビア語で「学校」を意味し、イスラーム教徒らに教育の機会を保証するため存在してきた「マドラサ(madrasa)」がインドで置かれている状況について、興味深い意見を読んだので、取り急ぎ抄訳したい。
Move on madrasas, the alienation of Muslims
教育を受ける権利法(Right to Education (RTE) Act, 2009)に準拠していないとしてマドラサへの公的資金提供を停止し、またすべてのマドラサを査察対象にするとした児童権利保護委員会(National Commission for Protection of Child Rights、NCPCR)の勧告と、その後のインド政府および各州による措置を、最高裁判所が差し止めたことは歓迎すべきことだが、この動きによって引き起こされた不安は残る。
NCPCRの取り組みは、M.S. Golwalkar(初期のヒンドゥー国粋主義者)の著書「Bunch of Thoughts(マラーヤラム語で『Vicharadhara』)」で提唱された、宗教的少数派を国家の敵と宣言するイデオロギーに導かれているように見える。
この動きに反対するローク・ジャンシャクティ党(Lok Janshakti Party、LJP)総裁、A.K. Bajpaiはじめ、与党の国民民主同盟(National Democratic Alliance)の支持者でさえ、取り組みの背後にある危険性を認識している。
2005年の児童権利保護法(Protection of Child Rights Act, 2005)は独立インドを代表する進歩的な法律に数え上げられている。
一方、国内では依然として、性的労働、物乞い、また臓器売買のために子供が人身売買されており、児童および青少年労働法(Child and Adolescent Labour (Prohibition and Regulation) Act 1986)は軽んじられている。
歴史は、世界中でファシストが規則や規制を操作することで、隠れた目的を達成してきたことを証明し続けている。
NCPCRは、イスラーム教徒以外の子供たちをマドラサから追い出せと要求している。
これは最高裁判所が引用したように、「赤ん坊を風呂の水と一緒に捨てる」ようなものだ。
実際には、さまざまな宗教に属する子供たちがマドラサに通っている。
公教育の普及に成功した州とされるケーララ州の実態を知る人であれば、誰もが理解に苦しむかもしれない。
この国では、2009年のRTE法制定前もその後も、初等教育はすべての人に提供されるわけではない。
また宗教教育とともに世俗教育を施す仕組みを浸透させるため、多くの州で政府がその財政支援を行わざるを得ない状況にある。
NCPCRは、この現実を理解していないと見られる。
1970年代後半、アフガニスタンの左派政権を打倒するため、米国の支援を受けて超テロリストのタリバンが始めた訓練センターは、後に「マドラサ」と名付けられた。
これは、同じ米国とその同盟国が流布するようになった、現在につながるイスラム嫌悪のイメージに当てはまる、意図的なプロパガンダになった。
一方、そうした概念はインドの歴史および社会の現実とは一致していない。
アラビア語の「マドラサ」は、単に学校を意味するものである。
この名称は英国による植民地教育というシステムが導入されるまで、宗教学校と世俗学校の両方に長く使われてきた。
無料で誰もが受けられる教育システムが存在しなかったため、多くの非イスラーム教徒の子供たちがマドラサに頼っていた。
インドルネッサンスの父であるラージャ・ラーム・モハン・ローイ(Ram Mohan Roy)、初代大統領ラジェンドラ・プラサード(Rajendra Prasad)、作家のムンシー・プレムチャンド(Munshi Premchand )など、多くの著名人がマドラサで知識を吸収した。
この歴史的事実は、ヒンドゥー至上主義者らにとっては不快なものであるかもしれない。
憎悪をあおる者たちは、インドという国は競争と対立の歴史ではなく、共存と寛容の歴史により成り立っているという主張にフタをしたいのかもしれない。
しかし、今日のこうした言説の中で立ち上がって真実を語るのは難しいからこそ、言わずにはいられない。
マドラサ制度はデリー・スルターン朝の時代から存在し、奴隷王朝、ハルジー朝、トゥグルク朝によって後援された。
モロッコの旅行家イブン・バットゥータ(Ibn Battuta)の旅行記からも、ムハンマド・ビン・トゥグルク(Muhammad-bin Tughlaq)の後継者であるフィーローズ・シャー・トゥグルク(Firoz Shah Tughlaq、1309-1388)がこの慣習を利用して女性と奴隷に芸術、科学、手工芸を教育していたと記載されている。
その後、インドのさまざまな地域、特にケーララ州では、キリスト教宗派が教会の隣に学校を広く設立し、自分たちのコミュニティの子供たちだけでなく、学びたい人々も教育を受けられるようにした。
誰かから知識を得ることは、たとえ異なる信仰を持つ人からであっても、恥とはみなされなかった。
ケーララ州は近年、社会のあらゆる階層間での団結と、共同体の友好を維持しているというため、かえってフェイクニュースなどを通じた悪意ある攻撃の標的になっている。
マドラサの機能に関する問題も例外ではない。
模範的な初等教育システムを持つ州として、ケーララ州は政府からの財政支援を受けてマドラサを運営する必要はない。
ケーララ州政府がマドラサに多額の資金を費やしているというのはまったくのフェイクニュースである。
しかし、年金やその他の給付の財源となるマドラサ教員福祉基金(Madrasa Teachers’ Welfare Fund)は、他の従業員向け基金と同様に法的に設立されたものであり、宗教的宥和政策ではなく社会正義政策に基づいている。
宗教の自由は憲法で保障されている。
第25条は、すべてのインド国民に、自らが選んだ宗教を信仰し、実践し、広める自由を保障している。
政府は、違法で国家の安全保障に有害なあらゆる行為を阻止する権限を有する。
宗教学校であろうと世俗学校であろうと、すべては法律の指針に従って運営されるべきである。
しかし、宗教的少数派の疎外を助長するNCPCRの行動は、児童権利法にも国にも正義を示すものではない。
インドのような国では、次世代に世俗的価値観を伝えることが最も重要である。
インドの存在と成長は、多様性の中の統一にかかっている。
宗教に関係なく、偉大な指導者の教えに従うことによって教え込むことができる。
19世紀から20世紀初頭にかけて活動した哲学者で、社会改革運動家スリー・ナラヤナ・グル(Sree Narayana Guru)の言葉「すべての宗教の本質は一つであり同じである(Sarvamatha Saravum Ekam(Essence of all religions is one and the same)」は、覚えておく価値がある。
しかし残念なことにNCPCRは、カシミールからカンニャークマリに至るまで、宗教的少数派が不安な日々を過ごしているという事実に固く目をつぶっている。
攻撃的な多数派主義の悪意ある勢力は、憎しみの言葉と行為で、インド人民党(BJP)が「他者」として扱う、数百万人もの少数派を脅かしている。
国民は憲法上の価値観を守り、NCPCRに現在の動きから手を引くよう求めている。
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Yoko Deshmukh
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インド・プネ在住歴10年以上の英日・日英フリーランス翻訳者、デシュムク陽子(Yoko Deshmukh)が運営しています。2003年9月30日からインドのプネに住んでいます。
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