ラトナギリとビルマの王様の、意外な関係

 

Posted on 27 Jan 2018 22:00 in トラベル・インド by Yoko Deshmukh

ちなみに写真はゴアから望むアラビア海です。



現在、バイクを駆って6周目の全インド旅を敢行され、先日はプネーを弾丸訪問された写真家の三井昌志さんが、その前に1晩だけ滞在したとされていたマハーラーシュトラ州沿岸の町ラトナギリ(Ratnagiri)。



 

ゴア(パナジ)とムンバイーのちょうど中間に位置する、小さな漁港があるだけの田舎町なのだが、三井さんによれば市場には外国人の姿もちらほら見受けられたという。
風光明媚なラトナギリが、ようやく少しずつ、辺境好きに認知されつつあるのかもしれない。

ところがラトナギリには、美しいアラビア海の夕景以外にも歴史的な見どころがあるらしいことを、本日付の「The Better India」が紹介していた。

What Connects Ratnagiri and Burma’s Forgotten Royals? A Story of Lost Glory!

この地には19世紀後半、はるばるビルマ(現ミャンマー)から最後の国王、ティーボー・ミン(Thibaw Min)とその一家が亡命していたのだという。

参照:About Myanmar~もっと知ろうミャンマーの事~

さかのぼること1885年、大英帝国がビルマをイギリス領インドとして併合した際に追放されたティーボー国王一族は、ラトナギリで暮らすことになった。

一族が暮らすために、見晴らしの良い丘の上に赤レンガ造りの「ティーボー宮殿(Thibaw Palace)」が、当時の予算で12万5,000ルピーをかけ建てられることになったが、完成したのは1910年で、王様がここで暮らせたのはわずか半年だった。

しかし、宮殿の建設中、ティーボー王はその構造に非常に大きな関心を寄せ、楽しみに待っていたというから、あながち不幸なことではなかったのだろう。

宮殿は現存し、一般訪問者が見学できるようになっている。

「The Better India」では、ビルマ最後の王の波乱の生涯について知ることができる、以下の書籍を勧めている。

The King In Exile: The Fall Of The Royal Family Of Burma,’ by Sudha Shah - Google Books





    



About the author

Yoko Deshmukh   (日本語 | English)         
インド・プネ在住歴10年以上の英日・日英フリーランス翻訳者、デシュムク陽子(Yoko Deshmukh)が運営しています。2003年9月30日からインドのプネに住んでいます。

ASKSiddhi is run by Yoko Deshmukh, a native Japanese freelance English - Japanese - English translator who lives in Pune since 30th September 2003.



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