たまたま見つけた「プネーの基準石(Zero Stone)」という記事の中で紹介されていたのは、「インドの伊能忠敬」とも呼べるかもしれない人物による三角測量法(trigonometric survey)での全インド地理把握に向けた奮闘だ。
How India was measured: Story of the Great Trigonometrical Survey of India
プネーの「Zero Stone」の場所
その人の名はウィリアム・ラムトン(Lt. Col. William Lambton)中佐。
1802年にウェルズリー将軍(General Wellesley)の指揮下で、インド亜大陸の正確な地図を作製するための測量を開始した。
まずはマドラス(現チェンナイ)からマンガロールまでの距離を測定だ。
基準点として、(いずれも当時)マドラス・ビーチに立てた旗竿からマドラス競馬場グランドスタンドまで5.85キロメートルの距離を、長さおよそ30.5メートル(100フィート)の鎖で測定した。
ラムトンは、タンジョール(Tanjore)寺院などの著名な寺院の屋根やゴープラムを利用して、難関とされたコーベリー・デルタ(Cauvery delta)を測定した。
このようにしてマドラスからマンガロールまで、つまり東西距離で660キロメートルの地図作成に成功した。
正確を期するため、ラムトンは、三角公式のひとつであるカルデ三角測量(Callde triangulation)を使用して、マドラス競馬場のビーチと特別観覧席までの丘の相対位置、距離、高さを計算した。
当時は、三角測量で垂直角度と水平角度を測定するために、精密に校正したマイクロメーターと顕微鏡、水準器を格納した重量50キログラムの経緯儀(セオドライト)と、土地の位置に対する星の位置を決定し、それによって緯度の長さをマイルで計算するための天頂儀(zenith sector)が使用されていた。
最初の測量プロジェクト完了後、英領インドを南北方向で等しく2分割し、「Great Indian Arc of the Meridian」と名付けた新たな測量を開始した。
もちろん開始地点は、亜大陸最南端のカンニャークマリ(Kanyakumari)で、13年後の1818 年に、ハイダラーバードまでの全地域の測量を終えた。
距離にして700マイル、つまりおよそ1,020キロメートルに及び、地表の緯度10度を徒歩で横断したことを意味する。
ラムトンは次にジョージ・エベレスト(George Everest)を補佐として任命し、ナーグプルとアーグラーを結ぶ地点の測定を開始した。
この旅の途中となる1822年に、ラムトンが結核のために亡くなると、エベレストは測量計画全体を改善すべくゼロから作業を開始した。
当時のインド(大英帝国)のほぼ中心であったことから、地図の基準点としてマッディヤ・プラデーシュ州カリアンプール(Kalianpur)から測量を始めることで、国の長さと幅を測定することを目指した。
またセオドライトを改良し、鉄の鎖の代わりに10フィートの棒を利用することで小型化した。
カンニャークマリを出発して描かれた子午線の弧は1841年、ついにヒマラヤ山脈のムスーリー(Mussorie)付近に到達、長さは2400キロメートルとなり、世界で計算された最大の子午線弧となった。
本当に、まっすぐなんだな。
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