全作を古本で購入したものをスキャンして、キンドルに入れておいた山崎豊子さん作「沈まぬ太陽」をゴアに持ち込み、読んでいる。
この作品を通じて、わたしは初めて、日航機が1972年にもデリーのパーラム国際空港への着陸直前に墜落し、多数の死傷者を出した事故、また同年にムンバイで、ジュフー空港の滑走路(当時およそ1500メートル)をボンベイ国際空港(同およそ3300メートル)の滑走路と取り違える誤認着陸事故を起こしていたことを知った。
現在、凄惨な日航ジャンボ機墜落事故(作中では国民航空ジャンボ機墜落事故)の章を読んでいるところだ。
山崎豊子さん作品に共通する、強靭な意思と精神力を持った主人公を軸に、事実に基づく描写を追っていくと、改めて「働くとは何か、生きるとは何か」を深く考えさせられる。
働くということは、常に相応する(昇進や栄誉を含めた)報酬や承認を得られるとは限らない。
作中で主人公は徹底的に、これら「働くことで人が自然に期待する基本的な代価」から実に不当な形で排除されている。
また自社が引き起こした事故後には、遺族対応係として会社を代表し、正面から怒りを受け止める役割を引き受けることになる。
そんな局面でも、その「仕事」に真心と誠意を尽くすことができるのか。
「自分の地位のため」、「誰かが褒めてくれるから」といった価値観が入らない状況での「働きぶり」こそが、その人の本質を浮き彫りにする。
自分の仕事ぶりはどうだろうかと振り返りつつ読み進めている。
そして航空機事故で愛する家族を突然、亡くした人々にとって、生きるということは、世間体を整えることでも、体裁を取り繕うことでもなく、あるがままの日常を慈しむことに他ならない。
生きるということは、いま与えられた一瞬一瞬を、味わい、噛み締め、愛おしむことなのだ。
それぞれの遺族たちの、家族との日々や思いに関する細かな描写を通じて、そのメッセージが繰り返し胸に迫って来る。
そういえば、今回のゴア旅行に同行させていただいた、タイのチェンマイ在住フランス人の方が、わたしの年齢の時に人生の大転換ともいうべき選択をし、その結果として今があることについて、「ではあなたは、これからのことはどう考えているのか」と訊ねたら、「そんなことは分からないし、考えてもいない。今あるものに全力を尽くしていれば、何かが自分を待っているさ」と、さらりと言われて、「フム」と納得したような気持になった。
ちょっとでも不快なことがあったり、疲れたりするだけで、機嫌を悪くし、不平や不満を抱いてしまうわたし。
いっそ、そんな日常も受け止めて、味わい、噛み締め、愛おしもう。
くじけそうになったとき、元気がなくなったときには、「インドの異界、ゴア」に、いつでも行けるんだということを思い出そう。
※それぞれの写真をクリックすると、大きなサイズで表示できます。

朝日の中、浜辺でスーリヤ・ナマスカールをする西洋人の若者たち。

すっげ~、きみたち、影絵になってるよ!

こちらは浜辺に沈む夕日。

いまにもひとりでに漕ぎ出しそうな舟。
どこへゆくのかな。
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